「市場原理を導入して単純に競争させればうまく行く」なんてのは一つの方法でしかなくて、それ一辺倒でダメだというのはずいぶん前に明らかになっているはずなのだが、いまだに信仰はなくならない。
— 碌星らせん (@dddrill) 2018年4月16日
特定の物事を指したわけではないのだろうけど、昨今の漫画業界におけるあれこれの話とか、有名週刊漫画誌を無料配信したらどうだろうか的な話も出てきている中での指摘かなあと思いながら。
市場原理を導入させればシンプルな競争が働いて、結果として皆がハッピーになれるような状態に移行する。所謂「見えざる神の手」万歳、的な。まぁそれは経済理論の原理原則ではあるのだけど、実のところは人の感情、思惑ってのは多種多様だし、状況を作り出す係数は山ほどあるし、ゲーム理論をはじめ色々な他の理論なども影響したりして、上手くいく「かもしれない」というのが関の山。そして「上手く行く」と期待されている状況ほど、実際には上手く行かない。
本当に上手く行くのなら送発電分離や自由化に伴い欧米の電気料金は大いに安くなるはずだし、安定感は保たれたままになる。独占禁止法など要らなくなる。けれど時として人は「市場原理」を教典のごとく扱い、それですべてが収まるかのように考えてしまう。
結局は「それは知ってるけど俺様の場合は上手くいくに違いない」との思い込みが支配するのだろうな。まぁ、その思い込みこそ、信仰と呼ぶのだけど。
これって結局以前【「病気反対、健康」と唱えても病気が治るわけでなければ健康体を維持できるわけでも無い】や【「市場経済制、市場経済制、市場経済制」と三度同じ言葉を唱えさえすれば】と同じ問題だったりするのだろうなあ、とも。「恐らく彼は「市場経済制、市場経済制、市場経済制」と三度同じ言葉を唱えさえすれば、薄汚れてしまったこの青い星の赤い大地が白く変わると信じているのだろう」的な。
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