「やりたいことを既に誰かが論文にしてた」ということはやりたいこと自体は間違ってなかったわけで、分野によってはあまり凹まずに近いところで別のやりたいことを探すってのも十分アリだと思うけどね...。
— 1T0T (@1T0T) 2018年4月20日
漫画でも同じようなことは言えると思う。たとえネタが被っても、あなたが描くものは他の人が描いたものとは違うはず。>RT
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2018年4月20日
ツイッターを見ていると時折研究者肌の人による、やろうと思っていたことがすでに誰か先にやられていた、しまったー的な話を目にすることがある。まったく同じ結論に至ること、発明の類で特許云々ってレベルならともかく、考え方とか論述の類なら、似たようなこととか同じことでも別に構わないのではとは思っていたのだけど。まぁ、まったく何もなかったところで仕上げるのと比べて、世に放たれた時のインパクトは落ちるかもしれないけどね。
で、その辺りの話をうまく体現化してくれたのがこれらのお話。既に完成して立証されていたり、体現化されていたら、自分が考えていたことは可能だった、間違っていなかったことを証明してくれていたことになる。未来をちょいと覗いて自分の方向性の正しさを確認したと思えばいい。
また、過程を自分で突き進むことで色々な理解も得られるし、結果が同じだったとしてもそこに行き着く過程を自分で得ることで、より深い理解が得られるし、新たな発見や発明、創生のタネになることはある。さらに創作物に関しては、自分が作ったものが先行するものとまったく同じとは限らない(同じ原作を基に複数の漫画が出るってことは結構ある話だよね)。
方向性はちょいと違うけど、「自分がしてきたことに無駄なことなんて何もない」ってのも、似たような意味合いを持っているんじゃないかな。車輪の再発明なんて言い回しもあったかな、と思いだしたりもする(こちらはむしろネガティブな意味で使われるけれど)。
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