作家をタレント扱いすることの功罪

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これは以前からもやりと考えていた、けれど言葉にはまとめ難かった思いで、するりと体現化してくれたので有り難いなあという感謝の意味もこめて覚え書き。

編集サイドのリソースが足りなくなって、作家側へ投げてしまう領域が大きくなっている。功罪はまた別の話として、そういう機会が多々見受けられるようになっているのは事実。その中の傾向の一つとして、作家にソーシャルメディアを使わせ、そのソーシャルメディアで沢山のフォロワーを集め、集客を行えという動きがある。フォロワーを増やせってのは、要するにそれだけ告知力を大きくして作品を多く売れるようにしろ、と。

確かにフォロワーが多い方が論理的には告知力が大きくなるから、フォロワーは多い方がよいってのは分かる。ただツイッターにしてもFacebookにしても、作家のアカウントは宣伝用のものじゃなくて自身の趣味やらネタ話やらで使っているのが多分で、最初から宣伝オンリーってわけじゃない。半ば以上はプライベートなもので、そこに「こういう仕事をしてるよー」的なスペックの披露の一つとして、宣伝が行われる程度。それを宣伝の媒体にしか見ていない時点で、随分とアレな感はある。

情報公知は無いよりもあった方がいいけど、度を過ぎると単なる宣伝になってしまうし、面白くないのには違いない。チラシばかりの新聞、宣伝映像が30分ぐらい流れる映画、それにどれほどの興味がわくのか。

そもそも作家の人達は作品を売りに出しているわけで、個人のあれこれはまた別の話。指摘されている通り、タレント業として仕事をしているわけじゃない。もし編集サイドがそれを求めるのなら作家の人達は、作品への対価以外に宣伝広告料を求めても構わないと思う。作家の人達が自分に関するお話の中で、自分の作品が出ているよ、もうすぐ発売されるよ、こんな内容だよというお知らせをするのはいいのだけど、それを強要するのは筋が違うと思うのだな。

一方で、その辺りのバランス関係を分かった上で、適切に自分の作品のアピールをしたいのだけど、上手く行かずに四苦八苦している作家の方々がいるのも事実。ちょっとしたテンプレ的なものとか、アドバイスの集約をした方がいいのかなあとも思ったりする。好きな先生には時々気になったことをツイートしたりもしてるけどね。

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このページは、不破雷蔵が2018年4月22日 07:23に書いた記事です。

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