大規模な物にチャレンジできる人の場合、意識的か無意識かはともかく、小さな報酬を得る自分なりのやり方を身に着けてそうな気がしますね。あるいはチャレンジ自体が楽しくて、全く苦に感じなかったりとか
— あるしおうね (@AmadeusSVX) 2018年4月22日
後者の人は本当に強くて、一人でも楽しい永久機関をぐるぐる回して、ものすごい勢いで成長していったりするんですよね...
— あるしおうね (@AmadeusSVX) 2018年4月22日
目標が大きなもの、一朝一夕にできるものではないとなると、そこまでの道のりが長すぎて、飽きてしまったり絶望感を覚えたり不信感が沸き上がってくる。毎日ちゃんと歩いているのに、あの山へは全然近づいていないような、という焦り。
で、そういう状況はどんな時にもあり得るし、よほど肝っ玉が据わっている人とか悟りを開いている人、割り切れている人で無いと、めげてしまうもの。ましてや目標そのものが視認できない時、確定されていない時はなおさら。なので、小刻みに、自分の勝手でもいいので小目標を作っておいて、その小目標を到達出来たら「自分はここまで出来た」と自分にご褒美を与える。昔解説した「実践目標は小刻みに」という概念と同じ。
むしろ指摘されている通り、その道のりを歩むこと自身が楽しい人は、目標など構わない......というか歩くこと自身が楽しいのだから、目標とかなんて言うのが関係ない感じとなる。回転遊具で遊んでいるハムスター的な。気が付いたら目標の1万回転に達したけど、面白いからまだまだ回転し続けるよ。これは強い。うまくいけば思いっきり成長できる。ただし方向性を誤ると、言葉通り「暴走」となる。
日常的な成功を可視化する「マイクロ報酬系」的な発想は、もしかするとゲームの生み出したもののうち、人類にもっとも大きな影響を与えたものではないか、という発想に至る。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年4月22日
AR時代になると、マイクロ報酬系は生活の中できわめて大きな軸になる可能性がある。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年4月22日
ゲームにおけるミッション制とかクエストとか、お買い物イベントってのも、実のところ「小刻みで大目標を目指す」という概念そのものに他ならない。ゲーム的、と表現されているけどむしろ逆で、元々そういう概念があり、それを体現化した、分かりやすく表現したのがゲームでのあれこれなのだろう。
他方、ARでマイクロ報酬系が軸云々ってあるけど、これは例えば転生系ラノベやそのコミックで使われている表現を思い浮かべれば、容易に理解はできるはず。自分のステータスウィンドウが表示されてパラメータが確認できたり、イベントをクリアすると脳内にファンファーレが流れてメッセージが表示されたり、何かプラスの効果が得られたり。まさにアレをARで疑似体験することができるようになる......かもしれない。まぁこの辺りは専門家の方々にお任せだけど、そういう想像をするだけでも楽しくなってくるよね。
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