(記者から見れば)取材は「させていただく」もの

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実際取材の中にはメディア側の媒体力を利用してアピールしたい、プロモーション活動の一環として利用したいとか、それを知っているからお互いメリットがあるよね的な立場の上でのものもあるけど、前提として取材ってのはする側が対象に「させていただく」ものに他ならない。なぜなら取材をする側の事情で、対象の時間などをはじめとしたリソースを奪うのだから。本来その時間に創作活動なり仕事なり休養なりが出来たのに、取材側に時間を割くことになる。場合によっては取材の準備ということで、さらにリソースを割く必要が出てくる。

指摘もされているし当方も何度と無く経験しているし記事にも書いた記憶もあるのだけど、取材をする側の所属組織が大きいと、その組織の影響力とか与えるであろう効用を絶対的なものとして誤認し、「取材してやってる」という錯誤の上で臨んでしまうことがある。「テレビに出るんだ、ありがたく思え」「雑誌の記事に用いるから宣伝になりますよ」的な。そういう思いがあると、対象は自分の意のままに従う資料やリソース提供者として以上の認識が出来なくなってしまう。虎の威を借る狐、とでも表現できるのかな。

あくまでも取材というのは、相手にリソースを割いてもらってお願いするようなもの。立場は相手が上。拒否されても仕方が無い。先日の【タダで仕事をしろといわれたら強盗だと思え】と同じようなものなんだよね。

取材は相手のリソースを奪うものであるという原則が忘れられがち。相手は対価としてアピールしてもらえるかも、との期待もあるけれど、それも保障されていない(プロモーション前提のビジネスの上での取材なら話は別)。さらに逆効果になる可能性すらある。相手が勝手に取材内容を切り貼りして印象操作をする可能性だって否定できない。

この辺の力関係は電話営業やメールでのアプローチ、資料の請求と同じ。メールだってわざわざスパム的なものにまで返事をしていたら、こちらのリソースが浪費されてしまうからね。そんな理不尽な話に付き合う必要がどれほどあるのだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2018年4月25日 08:02に書いた記事です。

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