もうすっかりテレビがない生活が当たり前になったけど、たまに実家や外泊先でテレビがついていると、
— F太 (@fta7) 2018年4月27日
・同じ話題を延々と繰り返す
・ひとつの知識や情報の紹介に数十分かける(驚きの秘密とは...!?)
・しかもCM多い、多すぎる!!昔からこんな多かった?
みたいな情報密度の薄さに頭がクラクラする。
これは地上波ラジオも同じで、聴いてると弁護士事務所の過払い金請求と感染症の国への訴訟のCMが頻繁に挿入されて、30分で受け取る情報が昔と比べると超薄まっている。どこも番組作るの厳しいんだなと思うけど、ますます人が離れる悪循環。もはやビジネススキームが変わってるんだなあと。 https://t.co/LwaJBoA22M
— karzusp (@karzusp) 2018年4月29日
当方も実は随分と前からテレビもラジオも見聞きしていない。テレビはそもそも捨ててしまって家に無いし(一緒にビデオデッキも捨ててしまったので、現在大後悔中)、ラジオも防災用に自家発電でも聞けるタイプのがあるだけで、地震が起きた時にのみ電源をオンにするぐらい。「リアルタイムに情報を(電波メディアで)知る」っていうライフスタイルが当たり前のようで空気を吸っている位の感覚ではあったけど、無くなって見ると案外問題なく生きられる......というか、むしろ何であんな時間の無駄なことをしていたんだろうという気にもなる。無論、代替できる情報取得元があるからこそ、なんだけどね。
それでも指摘されている通り、それでもテレビやラジオを見聞きする機会はある。食堂で食事をとる時とか、旅行先の旅館でとか、電気店の展示品でとか。通院先の病院でも以前はテレビ放送を流していたのだけど、最近は出さなくなってしまったな。
そういう時に目に留める、耳にする放送は、指摘されているような感想を当方も抱いてしまう。CM量の多い少ないは統計を取る必要があるからあくまでも印象的なものなんだろうけど、つまりは出来るだけノイズ的な情報を避けて本筋の情報を能動的に取ることができるという取得方法に慣れてしまったからこそ、絶対に避けられないCMが余計にウザったく思えてしまうのだろう。
ある意味、電波メディアは洗脳メディアでもある。一方向的な情報発信メディアだから。これは以前から何度と無く繰り返し伝えているお話。もっともスイッチを切ることで、そこから逃れるのは出来るのだけどね。
で、せっかくなので。世帯内にある最後の1台のテレビを売るなり廃棄する際は、その証明書を取得した上でNHKの解約をすること。テレビが無ければNHKとの契約云々ってのも関係ないからね。支払う必要などない。ただ、証明書が無いと解除をしようとしても「テレビ廃棄の証拠を見せなければ解約には応じられない。内規ですから」と畳みかけてくる。昔は電話一本で解除できるという経験談もあったようだけど、今はどうも違うらしい。契約内容を片方の内規で勝手に変更解釈できるのかどうかってのは、法的に怪しいところはあるのだけど......まぁ、やっておくに越したことはない、と。
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