電子書籍の時代では、もはや箇条書きでいいんじゃないかという気がしてきた。箇条書きならマッハで書ける。
— ところてん (@tokoroten) 2018年4月30日
文章という形態は、どうしても直列になってしまうので、並列概念をうまく取り扱えない。
接続詞を読者が暗黙的に補えれば、箇条書きで十分意味は伝わる。
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箇条書き電子書籍が成立する条件
— ところてん (@tokoroten) 2018年4月30日
・読者に十分な教養、知識があり接続詞を補完できる
・文章が読みたいのではなく、著者の思考ダンプが読みたい
電子書籍で1000人に届けるのがゴールなのであれば、箇条書きで十分。
不特定多数5000人以上(技術書の初版相当)に届けたいなら通常文章。
て感じかな。
箇条書きでもプロットでも構想図でもいいのだけど、ともかく文章そのものではなく、それを構築する骨組みを見たい、電子書籍ならそれでいいのでは、という話。一見するとそういう発想もありかもと思ったのだけど、よく考えて見るとそれは電子書籍というよりは、プレゼン用の資料だよねという結論に当方は至ったりする。
つまり、箇条書きでよいってのは実のところ、電子書籍でなくても構わない。電車のつり革広告とか、雑誌の目次部分でオッケーというもの。ただそれだと文章販売のアイテムとしては商売にならないので、それそのものを売るビジネススタイルでは使えない......まぁ、ノウハウを売る情報商材のようなものでなら話は別だけど。
例えば、指摘されている箇条書きを500円で売る。もっと詳しい解説を読みたい場合は1000円で、といった切り口も可能なわけだ。お試し版とはまた違った視点だな。
本にせずに箇条書きを売るというのは、ペン入れにせずに漫画を売るのに近いのかもしれない。ペン入れしてない絵は、見る人間が自分にとって心地いい線を脳で補完するので、名作に見えることがある。箇条書きも、読む人間が自分にとって心地いい細部や文脈を補完するので、名作に見える可能性がある。
— keiichiro shikano(@golden_lucky) 2018年5月1日
世の中にあるものはそうそう論理的に完備された箇条書きには還元できないから、だから文脈という言葉ならざるものが必要なわけで、バランス大事 https://t.co/GrUZIfI1JU
— 堀 正岳 「ライフハック大全」5刷 (@mehori) 2018年5月1日
コンテキストが共有されている、あるいは読み手のコンテキスト解釈の幅が広い場合は、箇条書きが有効だとは思う。
— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2018年5月1日
箇条書きを商品化するというのは、ある意味斬新ではあるけど、それを単体の商品として売るとなると、売れるかどうか......ってああ、上でも指摘した、インチキ系が多分に含まれる情報商材の類に行き着いてしまいかねないのか、それって。
他方、解釈がいかようにも出来て、その解釈自身も価値のある内容なら、箇条書きでも対価を支払うものとなりうる。ページ数が数ページしかない画集でも、読み方によっていろいろに読めるというものであれば、大いにさばけるとかね。あとはゲームの攻略情報などもその類となるのだろう。
意思を伝えるものなのか、対価を求めるものなのか。言葉の意味をどこに求めるのか、ウェイトをどれぐらいにするのか。電子書籍に限らず、箇条書きでよいのか否か、商品として許されるのか否かってのは、要するにそういうことじゃないのかなあ、と。
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