編集者に原稿送ったらGithubに取り込まれて、修正はPullreqになり、方針はIssueで相談「これだよ、現代の編集は」 - Togetter https://t.co/VXa8XmGsYG @togetter_jpさんから
— 地雷魚 (@Jiraygyo) 2018年5月9日
書き手も編集側も色々と環境が整備されてきて、ツールも良いものが続々登場し、多くの人が使えばスタンダードなものとして常用が当たり前となっていく。文字原稿にしても原稿用紙に書き込んで赤入れをされてというスタイルは、今や昔のお話。
今件ではテキストの原稿をgoogle docsで書いて送ったら多様なツールで編集がされていくというお話......ってこれ、使っているツールも併せ、編集の領域を超えてるっぽいんですが。そしてプロセスを知ることができれば、執筆者だけでなく編集者のスキルも把握できる感じがする。
他方、このようなツールは使えれば確かに便利ではあるけど、使いこなすまでのプロセスがそれなりに必要ではあるし、使う際のリソース(精神的な、注力面での)も大きなものとなる。便利だけどやることも増えるよね。ファイルを入れてボタンを押すだけでOK、という領域まで達すれば話は別だけど。
こういうの大事だし、俺もがんばってついていこうと思う。
— 地雷魚 (@Jiraygyo) 2018年5月9日
だが、出版の仕事に限っても手書き、ワープロ、PC、DTP、ネット、インターネットと発展して『便利になった』のは確かなんだけど、『便利になるたびに消耗が激しくなる上に単価が下がっていった』のも出版界の現実なんだよな・・・
そろそろ人間は『便利さに消耗しすぎ』てきているのかもしれない・・・
— 地雷魚 (@Jiraygyo) 2018年5月9日
指摘されている通り、便利になることと、楽になることとは別だったりする。昔のプロセスでも不可能では無い事が、ツールの活用で容易になるけど、消費リソースにはそれほどの違いは無いので、結局圧縮してリソースを使えるようにしただけという感は強い。そして時間は短縮されるけど、結果として余った時間は自分の好きなようにしてよいわけじゃなく、別の作業が投げられてくるので、消費リソースは増えてしまう。
農作業と同じで、機械化され、合理化されることで人の労苦は減ったかもしれないけど、単位面積当たりの収穫量は増えたかもしれないけど、支出も増えるので利益はさほど変わらない場合が多いとか、土地の消耗が激しくなるとか、そういう構造に似ている。
便利ではあるけど、代わりに失われるもの、削られてしまうものは何だろうか。それは得られるものと比較して、軽いものだろうか。その辺を考える必要はある。「便利さに消耗しすぎ」ってのは言い得て妙ではあるし、物事を考えるのに必要な観点には違いない。
例えば機械の導入で作業の消費時間が半分になったとして。あまった半日は休んでいいよとはならずに、作業量を2倍にしろと言われるのが関の山。そして成果物が2倍になったら、手取りも2倍になるかというと、そうはならないのだよね。さらに成果物に対する1日当たりの責任は(成果物の量が2倍になるから)2倍になる、と。これが繰り返されたら、確かに押しつぶされてしまいかねないな。
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