自己負担率引き上げは現場判断では無く一律で

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ちょいと前に高齢者の医療保険の自己負担率に関して、引き上げを検討という話の中で、現場の判断の余地云々という話があったので、覚え書きとして。フレキシブルな対応のために現場の判断を残すべきだとの意見もあるけど、これは絶対に良くない。

判断ができるほどの能力やリソースがあるとは限らないし、その判断を適用しろという脅迫が行われる可能性は否定できないし、その判断をミスだとして訴える云々という話すら出てこないとは限らない。判断は冷酷だという石つぶてを投げる筋も出てくるだろう。役所なり医療現場に余計な負担をかけるのなら、一律の方がよい。マニュアル化とか一元化ってのは、出来る限り公平に、効率よく、現場に負担をかけずに多くの対応を成すためのものなのだから。

リソースが有り余っていくらでも浪費できる状況なら、気持ちとか配慮とか可哀想だからという思いの体現化を試みても良い。しかしそれが許される状況なのか否かはよく考える必要がある。第三者が自分の自己満足のために、他の場面に使われるべきリソースを食い荒らしてもよいものなのか。

自己負担率の一元化という話を出すと、「お役所判断」「目の前の人が可哀想と思わないのか」とお騒ぎ組が暴れ出す(今でも結構見受けられるよね、自分はこうだからルールには無いけど現場で判断してどうにかしろ、という話)。現場の判断で左右させるってのは結局、現場の消費リソースを増やすだけなのだけどね。

ルールというのは基本的に効率化、公平化、現場でのリソースの浪費を避けるために存在するもの。ファストフードのマニュアルが良い例。現場であれこれ考えさせて臨機応変というのは、確かに理想の形かもしれないけれど、その分現場への負担と責任が増えることになる。

判断させる資格は現場にあるのか? その判断で何か問題が生じた時に現場が責任を取るのか? 「上が責任を取る」というのなら、適切な知識も資格も無い者に判断をさせることを許すはずも無く。

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このページは、不破雷蔵が2018年5月13日 07:22に書いた記事です。

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