「説明されなきゃ分からない!」とキレてる人も、中には
— KGN (@KGN_works) 2018年5月16日
・説明されてるが、聞いてないだけ
・一般レベルの説明はされてるが、理解できないだけ
がそれなりにいるし、後者については『追加説明のコストが見合わない』と判断されて追加説明の労をとってもらえないだけなんだよなと。
無論実情としては説明する側がつたない、不十分という事例もあり、それに該当するか否かはケースバイケースであるのだけど。指摘されているような事例が多々見受けられるのもまた事実ではある。特に昨今では毎日のように、朝日が昇る時間から時事関連の話において、大の大人がこういうことをやらかしているので、悪い意味での見本となってしまっているのだろうな。ああいうことが許される、あんなことをして自分の都合の良いように誘導することができる、と。
で、説明する側には説明するだけのコストもかかるので、そのことを考えると費用対効果の上で意味があるのかってそろばん勘定をしたくなる。追加のリソースを投入して説明したとして、そのリソース分で相手を理解させるだけのメリットはあるのか。さらに追加リソースの投入で相手が理解できる可能性はどれだけあるのか。ならばそのリソースを他の事に振り分けたり、別の人に理解してもらうために割り当てた方がマシではないか、と。孫氏の兵法でも似たような話はあったよね、競走馬の対決の件で。
「君が分かったというまで説明するのには、他の人の5倍も10倍も時間がかかる。
— KGN (@KGN_works) 2018年5月16日
説明にかかる時間はすなわちコストだ。
君が理解できずにいても他の人の働きで賄えるなら、10倍のコストをかける理由はないんだよ」
というとこまでは説明しないからなあ...
この説明するのもコストだからね。
1回か2回は説明して貰えるなら、面倒見の良い方か。
— KGN (@KGN_works) 2018年5月16日
ただし、この説明されると本人のプライドは木っ端微塵に砕くことになる。
— KGN (@KGN_works) 2018年5月16日
相手の怠慢という言い訳すら使えない「説明しても理解しなさすぎる」という評価が真っ向から突きつけられるわけだから。
面倒見は良いが慈悲はない説明かもしれない。
「貴方に再度、分かりやすく説明をするのはリソースの無駄」というのが結論であっても、それを直接伝えるのは、それだけでそれなりのリソースの浪費になるし、相手のプライドが粉砕されるのは明らか。けれどもそれの方が、そろばん勘定が合う場合も多い。無論この辺りはどの辺が境界線なのかは状況にもよるのだけどね(さらには世の中には一定率で「どうやっても理解できない人」ってのもいる)。
他方、(繰り返し丁寧に)説明しても、自分の望んだ結果で無ければ「説明不足だ」と、さらには「自分が理解できない(=望んだ結果でない)のは、説明がし足りないお前が悪い」と逆切れするパターンがしばしばある。最初に触れた、最近における大の大人が公共の電波や紙媒体を使って、それを繰り返し行っているってのが問題ではあるのだけどね......。
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