「うそはバレる」の教訓が実態化しやすくなるネット時代

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前提の言葉の定義の問題として「うそ」ってのは口にしたり表現した時点でそれが虚実であることを当人が認識しているものであり、語った当時は本当のことだと思っていたけど後で間違いがあると判明した場合には、「うそ」と呼ぶこともあるけど同等のものでは無いよな、ということで(双方とも「うそ」なら、歴史家のほとんどはうそつきになってしまい、言葉の表現がおかしなものになる)。

で、前者定義における「うそ」がくだんの某スポーツ関連で指摘されている。そのお話の解説と、それら絡んだコメントで、興味深いお話が。「嘘やごまかしは必ずバレる」ってのはやや語弊があり、バレる可能性が随分と高まったというまでの話。むしろその後の、「情報を隠蔽するほうが低コストだったが、ネット以後は情報を流通させるほうが低コストになった」というのはなるほど感。

当方も情報の発信におけるハードルの低下や、蓄積性や容易な検索性というのは、インターネットにより生じた情報の本質の根本的な転換であるというのは繰り返し言及している。情報の概念が本質的に、根本的に変わってしまったんだよね。にも関わらず旧来通りのスタイルで情報を取り扱おうとすると、すぐにボロが出てしまう。


スタイルを変更しないと世の中に対応できない、無理をしてそのままで押し通すとすぐにリスクが体現化する、つまり高くつく。さて、どうするのかな、と。


情報の性質の根本的なレベルでの変化に対応できていないのは一般の人達とかいわゆる「危機」に陥った人たちだけでなく、報道もしかり。昔のような一過性、人々の記憶には大きな、インパクトのある情報しか、しかもイメージでしか認識されないような過去の話では無く、いざとなればすぐに明確に、過去の事例が検証される今においては、テンプレートを使って繰り返し、同じようなことを繰り返して自分達の思うがままにイメージを誘引させようとしても、「また同じの使ってるよ」というようなチェックをされてしまう。

昔の成功体験を、周辺環境が変わってもずっと引きずっている、情報のアップデートが出来ていないってところなんだろうなあ、と。

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このページは、不破雷蔵が2018年5月24日 07:07に書いた記事です。

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