書き慣れたサインですら、100枚もぶっ続けで書いてると、描き方が分からなくなる瞬間があったりする。
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2018年5月26日
これは僕の経験則に過ぎないけれど、ある程度以上長く連載など続けていると、作品もゲシュタルト崩壊しそうになることがある。そこはグッと堪えるのだけど......
すべてをゲシュタルト崩壊で片付けるってのは雑だけど、確かに同じような作業ばかりを続けていると、何でこんなことをしているのだろうという根本的な疑問を覚えてしまって何もできなくなったり、している行為そのものが何か危険なことのように感じて、手が付けられなくなったりする。もっと具体的に体が拒否反応を起こすこともある。何というかな、電池切れを起こしたおもちゃのような感じ。
だいたいその頃になると、自分の魂というか精神というかを本格的に削りながら描くことになるので、終わりが見えた頃にはその魂だか精神だかは、随分と痩せ細ってしまっていて、次の作品に立ち向かうモチベーションも(ネタなり題材なりはあったとしても)なかなか上がってこない。
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2018年5月26日
解決策はよく分からないが、読書でも映画鑑賞でも旅行でも、手段は何でもいいから良質なインプットを続けて痩せた魂を充填しておくのが、次のアウトプットへの備えとして大事、かつ効果的なような気はしている。終わり。
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2018年5月26日
インプット! インプットが大事だよ!
— ゆうき まさみ (@masyuuki) 2018年5月26日
で、今件ではそのような現象について、対象作品向けとして用意されていたエネルギーを使い果たしてしまっていて、さらに自分で内包していた大元のエネルギーまで搾り取って充当させて動かしているので、失速すれすれで飛んでいるようなものだし、仮にうまく終えられたとしても終わった後は干からびたミイラのようになってしまう、と。
エネルギーは無くなったら補充しなきゃならない。インプット、大切。ただ、おもちゃならば電池、自動車ならばガソリンっていうように、これさえ投入すれば大丈夫ってのは人のモチベーションには存在しないので、色々と試行錯誤したり、自分なりに効率のよい方法をみつけていかなきゃならない。インプットという言葉で表せばシンプルだけど、具体的に自分には何がインプットとなりうるのか、結構難しい話ではある。
疲れたら気分転換にまったく別の事をしてみよう、という話がある。それもまた、インプットの一つの方法論ではないかな、と思ったりもする。
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