道迷いで遭難する人は「多分道はあっている」プラス「引き返すのがしんどい」という心理。足りてないのだよ筋トレが
— 山写 (@Photograph_mt) 2018年5月24日
筋トレはともかくとして、余裕が無いと他の選択肢の考察やその選択肢を選ぶだけのリソース不足で、現状が不安だったり何かおかしさを感じていても、それらへの検証、さらにはそれをするための立ち止まりすら出来なくなる。「この道、おかしくない?」「そんなこと言ったって、ここで考えていたら時間に間に合わないよ、先に進まなきゃ」という感じ。
余裕が無ければ他の可能性を選ぶ、検証することすらできなくなる。リスク回避の手段すら用意できなくなる。お金が無ければ保険に入ることもできないってのと同じ。
間違いや予定違いを許容できない(=やり直せない)構図って、前RTで指摘される「道に迷った人がトレーニング不足で遭難する構図」に近い、と思い至る。要は引き返す余裕の問題。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年5月25日
その昔、「間違いを許容できるのは社会が豊かな証拠」と言われたことがあって、「余裕=豊かさ?」と疑問に感じたこともあるんだが、今になって思えば「まさに、豊かでなければ間違いは許容できない」とわかる。だから年長者は余裕を見せなきゃいかんのだな、とも。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年5月25日
余裕が無いと間違いの可能性を減らせない、間違いを最小限に留められないってのは、どのような場合にでも当てはまる。体力や時間、リソースだけでなく、知識の観点でもこれはいえること。
「間違いを許容できる豊かさ」というのは、厳密には「間違いを最小限の範囲で留められるように許容できる豊かさ」という意味なのだろう。豊かで無ければ余計に間違いの損失は広がっていきかねない。それがネガティブスパイラルとなる可能性は多分にある。保守費用をケチっているとトラブルが多発してコストが余計にかかり、さらに保守費用を減らさねば......という感じではある。
また、そういう構造が世の中のあちこちで存在しているからこそ、年長者は余裕を見せ、年下にそのような配慮を示さねばならない。若年層、経験の浅い人は知識の上で失敗したり間違う可能性が高いからね。
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