修正前の訳文は、読解が大雑把、表現が雑、辞書を引いていない、基礎的な技術知識がない、内容がよくわかっていないので自分の頭の中でストーリーを組み立てている、という五大ダメ要素が全部入りですね。 【東洋経済オンラインの記事修正「原文とかい離していた」:ITmedia】https://t.co/Q1df811tUo
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2018年6月8日
先日色々な方面で話題に上った、気持ちの悪い拡張子事案。海外からの翻訳記事では往々にして、原文が展開された国やその媒体の特性がそのまま翻訳されて、日本では首を傾げるような内容になってしまうことがあるのだけど、今件は原文に書かれていない部分、つまり訳者が暴走してしまったという結果。
真相としては闇の中だし当事者が語ることも無いのだろうけど、元々スキルが無い人だったのか、該当記事の知識が無かったのかなど、指摘されているような無茶苦茶さがてんこ盛りだった感は強い。他言語か日本語かを問わず、他の記事やら報告書やら調査結果やらを基に、翻訳などもするけど独自解釈をしたり分析をしたり新規記事に書き起こすといった記事展開は当方もよく行う。そのようなスタイルならば、今回のような切り口も無くはない(ただし事実誤認だったり間違いの部分は別問題)。
ただし今回の掲載場所は原則的に翻訳記事の掲載場所なのだから、訳者が勝手解釈で足し引きしたり、ましてや自分の想いを込めさせてはいけない...って今件はたまたま原文が容易に確認できたから、そして問題視された部分が目立ったから問題視されたのだけど、この類のお話って昔から結構あったのではないかなと思ったりする。WAIWAI問題とか超好例。
自分の精いっぱいの水準を下回る訳を作ることのないよう、私が心がけている対策は、疲れるまで仕事しない(毎日、まだできるんだけどというところでやめる)、仕事を入れられるところぜんぶを仕事で埋めない、自分の心の中で誰かが「あまりやりたくない」と言っている仕事(安い、短い、面倒くさい)は
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2018年6月8日
勇気をもって断る、日本人作家の書いたものを普段から読む、落語や喜劇や漫画やお笑いに日常的に触れる(笑いには、表現に必要なたいていのことが詰まっている)、ですね。これらが正解であるかどうかはわかりません。私ではなく、私の訳を読んだ方が判断することです。
— 葛葉(レオポン㌠のフレンズ) (@Cuznoha) 2018年6月8日
で、WAIWAIはともかくとして。翻訳に限った話では無く、自らの技術や経験をもとに仕事に携わる人は、特に自営業や自由業のように受注を自身である程度コントロールできる人は、指摘されている通り無理をしないってのが一つの品質維持のテクニックとなるのかなという気がする。オーバーワークは必然的に結果の品質低下を導きかねない。そして自分の心の内に正直になる。
あとは普段の生活における心構えの部分ってのは、感性を磨く......というとかっこいいけど、要はスタミナゲージを貯めておくってことなのかな。無理にポジティブな考えに走ることはないけど、楽しめる事柄に触れていることで、確実に自分の思考に潤滑油が注がれ、リフレッシュされ、モチベーションが高まっていく。まぁ、この辺りは個人個人の差があるので、単純に寝てテレビを見ているだけでOKってのもあるし、旅行するのが一番って人もいるだろうし、本屋巡りをするといいよねって人もいるから、一概に「これがいい」ってのは無いのだけどね。
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