「ラクをしよう」と考えることが良い結果を生み出すことも

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以前自分の分身を作る云々ってことで話をした記憶もあるのだけど。自分がやりたいこと、やるべきことを他人に任せると、上手く行くかどうか心配になったり、説明に時間を取られるのがいやだったり、説明自身が面倒くさかったり下手多だったり、成果の配分をしなきゃならないのが好きで無かったりなどの理由で、そして大義名分としてか本心かは別として責任感のため、他人に任せずに一人でやってしまうということがある。

これがよいかどうかはケースバイケースで、しかも当事者が満足しているのならどちらを選んでもよいってことではあるのだけど(他人を運用するのがとても苦手って人も多い)、依頼できる相手が自分の望みに近いスキルを持っている場合、代行してもらうことで単純に2倍どころか3倍も4倍も成果を生み出していくという状況も多々ある...というか、それを期待しているのが企業をはじめとした業務集団組織ではあるのだけど。

そういう意味では相応のスキルを持った人をチョイスしやすい大学とか研究室内のプロジェクトチームってのは、こういうチーム化の効果が大いに期待できる。とにかく楽をするために、投げられるものは受け止められる人に投げてしまう。このコンセプトは欠かせない(昨今では先行記事のアルバイトの話のように、受け止められない人にも無理やり放り投げるって事例も多々あるのだけど...)。


「ラクをしよう」と考えることが良い選択肢を選ぶ方法論となる話が、たまたまほぼ梁次タイミングで上がってきたので。こちらも結局「ラクに稼ぐか」というのが軸にあり、そこから結果論ではあるけど最良の道を選んでいたというお話。「実力勝負を避け続けて、余力を蓄える事で開ける道は結構ある」ってのは色々と考えさせられる。実力勝負には相応のリソースが必要となるから、それでコケると逆に選択肢が狭まってしまう。

だとしたら楽をすることで余力を残して、それを貯めて色々と考えるってのは悪い考えではない。まぁ、努力をするってのは往々にしてツラいから、楽をするという話とはまた逆の話で色々とかち合うところがあるし、ラクをするためにもそれなりの努力とか苦労が必要だからね。

もっとも、技術の進歩も色々な発明や発見も、多くは「よりラクをしたい」という考えに基づいたもの。サボりたいという表現をするとまた別の要素が混じるので避けたいけど、ラクをするために色々と工夫をするって考えは間違っていないし、当方も昨今考えているあれこれの多分に、その考えが潜り込んでいる感はある。

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このページは、不破雷蔵が2018年6月17日 07:40に書いた記事です。

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