おわびと訂正(「FF7 リメイク」の記事について) https://t.co/Ga10bFz1DK 転送配信記事でも元記事の問題性に鑑み訂正などを行う姿勢は評価。一方で、一般報道記事ではこの類の誤報虚報が日々溢れているのですが、それと今件の記事との境目はどこにあるのかな、と。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年6月18日
以前も似たような話があったな、という記憶を頭の隅に見つけた上で。元々の記事のタイトルは「『FF7 リメイク』がやっと「初期の構想段階」を脱する」だったのが、訂正後は「『FF7 リメイク』が既に「初期の構想段階」を脱している」。指し示す状況そのものに変わりはないのだけど、見方、表現方法、受け取る印象は大きく違うよね。これって英語の元記事ではどうだったんだろう...と思って探してみると、色々と検索しようとしても自動的に日本語の記事に転送されるので見つけられない。まぁ、翻訳側の思惑を混ぜたら...という感じなのかな。
で、リリースによると「事実関係に間違いのある記事を提供したことをおわびして、トピックスを削除します」とあるので、元記事が事実関係の上で間違いがあり、それを提供してしまったのはよろしくないということでお詫びを成し、トピックスの削除をしたという表明が今回のお話。元々契約している媒体から原則として自動転送され、その後編集などが行えるという仕組みであるだけに、この類の「受け取ったものに間違いがあったよ」というのは仕組み上仕方が無い。小さからぬ影響が生じた誤報、虚報、問題のある表現を伝えてしまったとして、それを謝罪する姿勢は評価ができる。問題のある記事の掲載が、仕組み上のものであったとしても。
他方、転送された記事に誤解が生じるものがあり、それを掲載してしまったのは問題だとして削除し、訂正・謝罪のお知らせをする。これって、どの辺りが境界線、判断基準なのだろう。今回はその判断基準、ガイドラインに従って行われた措置なのだろう。
一般報道記事にはこの類の誤報、虚報がそれこそ、日々グロス単位で登場しているのが現状。その中で、この記事が対象となり、謝罪などの告知が行われた理由は。あれはアリで、これはナシ。その判断基準が曖昧になると、むしろ問題は大きくなる気がする。ポータル系のサイトの場合、怪しげなタブロイド紙、ゴシップ紙と評価できるような雑誌のウェブ媒体からも記事を転送している事例は少なくない。そのようなものの場合、同様の基準で判断したら、それこそ毎日のようにこんな話が出てくる。そして昨今では一流と印象のある大手新聞社やテレビ局のウェブ展開による報道内容ですら、同レベルの虚報・誤報が相次いでいる。それらへの対応は。とてもとても難しい。
コーチが頭にボール云々で罰を受けたり、お弁当の注文で数分席を外して幹部が謝罪をしたり。いわゆる「報道」「ニュース」の中にも、一見するととてもおかしな話がある。けれどその少なからずは時間が経つに連れて色々と背景が浮かび上がってきて、そのおかしさの原因がつかめたりする。けれど今の報道の多分は、センセーショナルな部分だけを取り上げ、大騒ぎして注目を集めるのが先んじている感は否めない。インパクトがあるのなら、見てもらえるのなら、編集切り貼り印象操作、何でもあり。
昨今の事実関係の切り貼り、一部分のみの抽出、詳細を精査しないでセンセーショナルに「報道」し、世の中を騒がせる事例が顕著化した感はある。いや、昔からそういうものでしかなく、そのおかしさに気付けるようになったまでの話かも。いずれにせよ、おかしさを覚えたらまずは様子見。
そして沸き上がる「そもそも『報道』って何だろう」という問題。報道側は「だってそういう話があったのは事実だもん」で正当化するのだろう。エセ科学や反社活動を事実であるかのように伝える報道にしても「だってそういう話が語られたのは事実だもん」で正当化するのだろう。でもそれでは、単なるスピーカー以上の存在意義は無い。報道とは、自らが不特定多数に向けた情報発信という社会的責務がある。それを忘れている感はある。
そのような状況下において、誤報、虚報、印象操作的な報道記事は大手報道媒体ですら満ちあふれている。そのような状況下で、転送記事に関して問題があったので、転送先で謝罪や削除が行われるとしたら、その判断基準はどのようなものなのだろうか。それこそファクトチェックを何重にも成して、極力公正で中立なもので無いといけなくなる。でもそれでは、論説的なものはすべてパージされてしまう。
また今回の「FF7リメイク」の記事に関しても、なぜこの記事に対してのみ、このような対応が成されたのかという疑問が出てきてしまう。記事のタイトル訂正は正当なものであると個人的にも思うのだけど。
実のところ今件は、意外と大きな問題を抱えているような気がするのは、当方だけだろうか。
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