今日も思ったけど、日本だと、優秀な人が日本国内での自分の優秀さにこだわる一方で、実際は世界的なレベルに通用するのにもかかわらずコンプレックスを持ってしまうっていう、自尊心と劣等感の入り混じったような感情を持ってしまうの、なんでなんだろう。文化的なものなのかな・・・
— HRK (@hncgu) 2018年6月21日
この辺は日本人特有のものじゃない気がするけど、そういう部分もあるのかなあという気もしなくもない(結構あいまい)。特性としては日本人は他の一部のアジアの人達同様に、集団の中でしっかりとその役割を果たすことを重視する、反個人主義的な部分が多いってのは調査結果などでも出ている。けどその一方で、島国的な閉鎖空間が生活様式社会全体だと認識して、その中でのみの優越感・劣等感にこだわってしまう。上に誰かいるとそれだけでダメだと思ってしまう。
一等賞で無いとダメだ、二等賞以降はダメ。それが日本だけでなく、世界全体でも結構、かなり凄い事であっても。確かに指摘されてみればおかしいよな、という気がする。
優秀な人達ばかりの中にいることで、基準点が凄まじく上がってしまう事、
— しおだまり (@tidepoolside) 2018年6月21日
また、生まれながらに恵まれた環境のエリート(都内の裕福な家庭に生まれ中学からトップクラス私立に通う等)と、叩き上げ(地方から自分の努力でそこまで来た)のスタート地点からの埋め難い差異を感じて、というのもあるかと
もう十分すごいんだから、のびのびやっていいと思うんですけどね・・・
— HRK (@hncgu) 2018年6月21日
どんなに優秀な人でも優秀な人達ばかりの中にいると、そこから頭一つ抜け出るのも厳しいのかなぁ、と思います。
— しおだまり (@tidepoolside) 2018年6月21日
研究する分野によっても外に出ていかれるのと行きづらいのがあるのでしょうか。
その考えでいくと、結局「俺はアラン・チューリングほど頭がよくない」とか、歴史上の人物を絶対に越せないので、相対的に優秀でありたいという承認欲求的なものは、早めに捨ててしまった方が人生楽しいと思うんですけどね・・・自分より優秀な人と仕事できる・会えるって、すごく楽しいんですよ
— HRK (@hncgu) 2018年6月21日
本当にそうですね。
— しおだまり (@tidepoolside) 2018年6月21日
身を置く環境が恵まれていると、得るもの、情報の質も高くなるし、より自己を伸ばす機会にも恵まれますよね。
一般的にそうでない場所が多い中、せっかくの好条件を利用して夢を持ち続けて欲しいし、出来れば立派な人になって国の未来を明るくして欲しいと切実に願います。
ほんこれ。感動するくらい凄い人見たことある。この人と一緒にやれた。それだけでも、参加してよかった。と思う位。 https://t.co/Hw8asCGu2e
— 篠原肇 (@HajimeShinohara) 2018年6月21日
確かに日本、さらには自分の手が届く範囲、領域内にスゴイ人がいると、その人よりも自分の能力が低いというだけで、だめだめ感を覚えてしまうって気持ちはすごくわかるし納得もできる。いくら背伸びしてもあの人には届かない。自分は存在意義はあるのか、このことをし続ける意味はあるのかという自問自答に陥る。アイドルの事務所でトップのアイドルにいつも差をつけられるような存在。
でも結局、それを考えていたらきりがない。トップで無いとすべてパージされるような場所なら話は別だけど、そうでない限りは自分が二番だろうと三番だろうと、石つぶてを投げられるようなことにはならない。トップがスーパーヒーローですべてのことをやってしまって後はお払い箱なんて場はありえない。
周囲を見回して自分の相対位置を確かめることは大切。けれどそれで自分の可能性や行く道を閉ざしてしまうのはもったいないし愚かな選択に違いない。むしろ自分が置かれている環境をラッキーだと思い、色々と吸収して自分のプラスに結び付ければいいし、広い世界においてなら自分だって結構イケてるからくじける必要なんてまったく無いじゃんという見方の問題なんじゃないかな、と。
まぁ、この辺りの問題って、ソーシャルメディアで可視化が進んで、自分の領域の上の人の動向が容易に見渡せるようになったので、結構大きな問題となっている気がするのだけどね。自分だけが思うのならともかく、第三者が茶々を入れてくるケースも無いとは言えないから。
唯我独尊...というと色々と語弊があるから、「人は人。自分は自分」ということかな。うらやましがるとねたみの関係はまた別で、これはまた機会があればということで。
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