積み●●は権利である、という考え方

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箱物入りの造形や、書籍の購読・収集を趣味としている場合、その対象を具体的に手掛けることなく、とりあえず的に確保しておいて、手をつけないで蓄積していたところ、山積み状態になってしまうことがある。いわゆる積み●●な状態。積みプラとか積み本とかが良い例だけど、積みの部分を罪と読ませたり、手をつけていない状態であることから負債などと表現することもある。当人が語る場合は多分に自嘲というか半ば満足気な意味合いもあるのだけど。

ただこれって、指摘されている通り生活そのものや対象となる趣味の行動を圧迫しない範囲であれば、ネガティブに考える必要性は無いという話には極めて同意。要は選択肢を自分で増やしている、その確保の体現化であると考えればよい。さらにそれらを手掛ける将来を手にし、その実体化した姿を想像して楽しむこともできる。

これって例えば仕立て屋ならば色々な種類の生地を収集していくのと同じ感覚では無いのかな、という感はある。


自分の部屋に「プラモ屋がある」という情景が夢である、という話。これもまた積み●●な状態の正当化理由としては真っ当正論ではある。ほしいと思っていたものがいつでもすぐに手に届く。本好きが本屋さんの店主となったり、図書館勤めをしているようなもの。

まぁ、度を過ぎると色々と弊害が生じるのはどのようなものでも同じではあるのだけど、積みプラをはじめとした積み●●に関しては、一部で言われているほどの悪癖と考えるようなものでは無いような気がする。その存在自身が夢の体現化なのだから。

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このページは、不破雷蔵が2018年7月 1日 06:35に書いた記事です。

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