ツイッターやってると、「え、この人この言葉遣いだけど、女(男)やったんや!」案件に遭遇するので、俺が女という可能性もある。←
— ちょくそん (@chokusonist) 2018年6月29日
語っている本人の性別はともかくとして。普段の言い回しから何となく男性っぽいなあという雰囲気を醸している人が、何らかのきっかけ、語られている内容から、実は女性だったのではという話は結構ある。逆に女性っぽかったけど実のところ男性らしいなあ、というものも。
本人が最初から明らかに性別を披露してそれが裏付けられている、リアルな状態との連動性が担保されているのならともかく、インターネット上でのやりとり、動向の確認がメインの対象となれば、男女の別など分かるはずもない。
相手の性別が分からないというのは、ネトゲ時代から......とはツイートしたのだけど、よく考えてみればそれより前の、掲示板でのやりとりが主流だった時の方が、まさによくある話だったのかもしれない。自分の性別とは異なる対象をシミュレートして意思表示をしているかもしれないし、そういや「ネカマ」という言葉も今では色々と問題があるので廃れているけど、かつてはよく使われていた。
ただ、判別できてどれほどの意味があるのかと考えると、またそれは別の話であったりする。性別の違いで意思表示や対応を変える必要があるのか否か。そう考えると、単に好奇心の充足や時折生じる違和感の解消以外に、性別の明確化の意味合いは無いのではないか。また昨今では性別に関しても、生物学的なものと心理面でのものとの仕切り分けの上で、色々と明確化できないという問題もあるので、色々と難しい。
それこそ性別云々以前の話で、インターネット越しにやり取りしている相手が、実在するのか否かという問題すら生じ得る。いわゆるチューリングテストのような話になってしまう。
この辺りは例えば、何らかの資格とか勤め先とかといった肩書とは似ている部分もあったり、異なる部分もあるので、考える必要があるのかもしれないなあ、と思ったりする。
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