現れた荒らしの背景を察して何かしろ、というのはただの無理難題で「同じWebサービスを使ってる」といった希薄な関係だけで、他人の人生なんて背負えるわけがない。そもそも悪意しか感じないアクションを起こされてまともに対応できるわけがなく、普通に「他人はお前のセラピストじゃない」で終わる話
— RPM (@RPM99) 2018年6月30日
というか常識的に考えて、荒らし行為とアカウント停止を何年も繰り返す奴に、わざわざ時間とコミュニケーションコストをかけて対応する人がどれだけいるんだ、という。ネットなんて冷静に話し合っても折り合わないことも多いのに、初手から罵倒で来るヤベー奴に付き合う覚悟があって言ってるのだろうか
— RPM (@RPM99) 2018年6月30日
「罵倒投稿を見て相手の人となりを十分に察し、海のような懐の深さで罵詈雑言や侮辱を受け止め、多くの時間とコストを無償であなたがコミュニケーションに費やせば荒らしは救えたかもしれません」というのは、解決策とは言いませんよ。
— RPM (@RPM99) 2018年6月30日
件の事件をトリガーに、インターネット上に登場する荒らし的存在に対し、その行為者の背景や事情をお察しして、その人のためになるような配慮をしろ、対応しろというお話がある。正直なところ、指摘の通り、同じサービスを使っているだけの関係でしか無いのに、色々とリソースを割いて配慮をしたり何かサポート的なものを行えってのは、正直理不尽なレベルのお話。まさに「他人はお前のセラピストじゃない」て終了案件。
人の善意に期待したいってのは理解できるけど、その善意を強要するのは考え方としては間違ってる。ああ、これって例のボランティアを強制無料労働の免罪符に置き換えた方法論というか詭弁と同じ性質のものだわ、と気が付いたり。
仮にそういうサービスを提供している場所があり、そのような対応を仕事でしている人なら、その類の配慮行動はしかるべきものなのだろう。けれどたまたま同じサービスを利用している他の第三者に対し、配慮をしろというのは、善意の強制でしかない。言葉は通じるのに話が通じないという事例はどのような場合にでも存在する。いちいち素直に対応していたら、いくら人生の時間があっても足りるはずは無い。
ああ、あの手の脳内お花畑発言をぶちかましてくる人は、ご自身が他人にいきなり噛み付く狂犬ですから。
— KGN (@KGN_works) 2018年7月2日
そもそもお花畑発言自体が暴力的だと気がついてない時点で。
はっきりいって「ブロック」「ミュート」対応で十分ですよ、ああいうのは。構ってやる義理はないです。
プロフで「自分は捨てアカウント」「自分の意見に反する者は知性や道徳心など持ち合わせておらずアホか不道徳」とした上で難癖なリプライをつけてくる方は、世の中に一定確率で存在する、可愛そうな人の可視化、意思表現のハードル低下による直接のとばっちりなのだなと思い、ミュートするのがベスト。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年6月26日
五・一五事件における「話せばわかる」「問答無用」(実際には両発言の間には随分と間があったのだけど)的な状態なのだから、下手に対応してもリソースの無駄。どこの世界にでもこの類の存在ってのはあって、しかも情報伝達のハードルが下がっている現在では、遭遇する可能性が昔と比べて随分と上がっている。
暇と余裕があれば相手をしてもいいのだろうけど、ほぼ間違いなくリソースの浪費にしかならない。指摘されている通り、ブロックなりミュートの対応で十分。例の「何も見なかったことにしよう」というものだね。自分が神的な存在で、無尽蔵にリソースと説得能力を持つ人物では無いことを、まずは知るべきなのだろうな、と。
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