当時のイメージとして。「Windows 8を入れれば、非タッチパネル対応PCがタッチ対応になると勘違いした人がいた」のは事実だけど、「買った人からクレームが殺到した」わけではない。「そういう勘違いがあった」「そういう問い合わせがあった」とイコールではない点に留意。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年7月4日
なんでそこにこだわるかというと、「ニュースで見た例が、脳内では勝手により大きな問題に拡大される」のはありがちなことで、しかも危険だから。こういうことは、デマや極論を生み出す温床になる。エビデンスが重要、というのはそういうこと。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年7月4日
ニュースでは往々にして「......という例も」という形で目立つ例を紹介するし、それが脳内で変化するのも当然。誰もが避けられないことだけれど、特に極端で強い話の場合、「本当にそうだったか」は念頭に置く必要がある。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年7月4日
新聞にしてもテレビにしてもラジオにしても、不特定多数に向けた情報発信手段であり、しかもそれは原則として一過性で、さらに権威立てられた存在である。その立ち位置から発信された情報はまるで洗脳電波であるかのように受け手に受け入れられてしまう。電波を使って電波を流すとは何事だという下らないシャレまで出来てしまうほど。さらに受け手の時間を占有し、印象を自由に操ることもできてしまう。
指摘されている通り、Windows8が導入された際に独特の仕組みから、多くの人がパソコンにWin8を入れればタッチパネル対応になると勘違いしたという話は繰り返し伝えられた。けれどそれがどこまでの度合いだったのか、問い合わせが殺到したのか、実証する手立ては無いし、メーカーサイドからその類の発表は無い。ゼロかそうで無いかで判断すればゼロでは無いのは事実だけど、ゼロで無いから100%というわけでは無い。雰囲気的には例の「二分法の罠」に似ている。一杯来たよ、多数の人が問い合わせたよというのと、問い合わせがあったよというのでは別。
こういう形で報じた方がウケはいいだろう、少数事例を挙げても「そういうことがあるのね、たまにね」で終わってしまうから、「たくさんの人が事例として挙げられるのだよ」と表現した方が注目してもらえる。明確に表現しなくても多数の時間を費やせば、そういう風に誤認してくれるだろう。けれどそれは演出の領域で、報道の区分を大きく逸脱している。「往々にして」「との意見もある」「という例がある」という言い回しが使われていたとしても、それに長文が使われたり、長い時間をかけて放送されたり、繰り返し用いられたら、たくさんの同様の事例がある、多くの割合で生じていると認識してしまうのだな。ちょいとベクトルは異なるけど、繰り返し同じCMが流されたら、流行っているように思えてしまうのと同じ。
「早まった一般化」「過度の一般化」というのだな、あの手法って https://t.co/hVjrcw2mKh
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年7月4日
これは以前言及した「早まった一般化」「過度の一般化」の事例に他ならない。青少年の犯罪が増えているとかいう話とも同じ。エビデンス出せや、ゴルァで済めばいいんだけど、こういう手法は楽に利益を得られるので、容易に、当たり前のように使われるし、使っている側もほとんど無意識なのだろうなあ、という気はする。
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