「ネットで調べりゃ済むから」という理由で知識を脳に入れとくことを軽視する風潮が見られるけれど、脳の中に無いと他の知識と結びつけて考えるのは困難。
— let's skeptic (@lets_skeptic) 2018年7月24日
インターネットを使って情報を探り手元に引き寄せ収集することが容易になると、まるで自分の知識の引き出しが無限に広がったような錯覚に陥る。どんなことでもインターネットでさくりと調べられるから、勉強なんて必要ないんじゃないか、自分が欲しいと思った知識以外はまったく不必要だ、なんて主張する人もいる。
そういうものの見方もありだろうけど、実際にそれを突き通してしまうと、色々と困ったことになる。その一つが、今件で指摘されている、他の知識との結び付け。要は欲しい、手に入った、のプロセスで終わってしまい、そこから他の情報との連動性が無くなってしまうので、物事の創造やら発達的な考え方が出来なくなってしまう。ほしいから手に入れる、それでオシマイとなると、生理的欲求が満たされればそれで良しとする動物とさほど変わりは無くなる。
さらに、10年以上前に【「ググる」と「教えてくん」と「連想」と】でも言及してるのだけど、自前の知識が無くて連想が出来ないと、そもそもどうやってインターネットで調べるかってのが分からなくなる。画像検索で正しいものが抽出できればハッピーだけど、自前の知識が無い人がそこまで出来るのかという疑問もある。
どれほど便利な道具があっても、その道具の使い方を分からなければ使いようが無い。そしてその道具ってのは未来永劫までずっと同じものでは無いことを考えると、道具の仕様が変わっても自分の知識であれこれ補完して使えるようにするためにも、自分の知識は必要不可欠なものになる。
まぁ、出来る範囲で全部お任せ、間違っていても自分自身も知らないんだから別にいいや、という考えならば、それはそれで止めはしない。ただそういう考え方だと、検索の上位に上がっているからという理由だけでデマに惑わされたり、インチキな商法にひっかかったりしてしまうのは、容易に想像ができるのだけどね。
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