なろうの文章は「このレベルなら自分でも」と思うのにTwitterの絵は「神の世界大会」と思う人、単純に解像度の違いに意識が届いていないと思われる。
— mkszk (@m_k_szk) 2018年7月24日
これは純粋に拡散速度が違うんですよな。良い文章はバズりづらい
— 碌星らせん (@dddrill) 2018年7月25日
これはあくまでも一つの発想、考え方であり、これ以外は全部ダメってわけでは無いのだけど。ツイッターはその仕組みの性質上、高速回転をしている回転寿司というか、台風直後の川のような速さの流しそうめんというか、走っている電車の中から見た街中の立て看板的なところがある。そりゃ、一つ一つのツイートをじっくりと読み進めるスタイルの人もいるけど、大抵はざっと見、ぱっと見で読み流してしまう。
そのような利用スタイルを考えると、絵というのはぱっと見でほぼすべての情報が取得できるのに対し、文章はそういうわけにもいかない。なので、ツイッターでは文章の類はよほどの短い、そしてぱっと見でわかるような内容でないと読み流しされてしまうし、結果として拡散は難しくなる。
ブログが流行り始めた頃からこの類の方法論は色々と論議されていて、本文の前に大きなキャッチ的画像を入れるべきだとか、長い本文にはイメージカットを入れた方が読まれやすいとか、そもそも論として文章よりも静止画、静止画よりも動画の方が情報を拡散されやすいとか。ツイッターで広まりやすいようにOGPをセットしてイメージカットが出るようにしなきゃダメだ云々ってのもその流れ。
無論拡散されるか否かは多様な要素が影響する。コンテンツ自身の内容や見せ方、媒体、表現方法。それを見た人の性質、好き嫌い、タイミング、他のツイートとの関連性、そして運。だから、この方法を用いれば必ずパズるとか、よいものだから絶対に拡散されるっていう方程式の類は存在しない。
そりゃ100万人ものフォロワーがいる人のツイートならば、どれもがそれなりにリツイートされて拡散されるけど、それはもう純粋に確率論的な問題となる。サイコロで6の目が出るか否かに関して、1つしか振れなければ1/6でしかないけど、1000回振れればほぼ確実に1回は6の目を出す事は出来る。
「良い文章」が何を意味するのかは色々な解釈ができるけど、やはりネタ的なもの、生活の知恵的なもの、そして何よりもぱっと見で分かるようなものは広まりやすく、学術的なものっぽいような正当性のある、見識的な話は広まりにくい。一読していいなぁと理解に達するまでに時間がかかるからなのだろうなあ、というのもあるし、先日の【専門家の説明が「反論させない上から目線」に見えるケース】もあるいは関連しているのかもしれない。良い文章は説教されているようで、無意識のうちに反発してしまうとか、ね。
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