移動しつつインタビューを受けた原稿のチェック。うーん、なんで話しても、私の本にも書いてない内容が「話した言葉」で書いてあるのか。「こういうことはしてはいけない」という基本を教えてもらってないのか。ガチ直ししないといけないじゃないか......。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年8月9日
100回でも繰り返していいと思うけれど、「相手が言ってないこと」を書き手が勝手に考えて「相手の話した言葉の中に盛り込む」のは、原稿の書き方として間違っています。やっちゃいけないことなのです。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年8月9日
ちなみに。取材メモや録音って、自分が書くために取るだけじゃなく、後日「この人は確実にこう言いました」というのを確認するためにあります。要は実験ノートと同じ。(この辺も基本的なことなんですが......)
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年8月9日
だからこそ「言ってないことを書いてはいけない」のは前提中の前提なのです。
記者が勝手にインタビューの内容を自己解釈して文言を変えたり、さらには語っていないことが語られたことになっていたり。先日ちょいと話題になった「インタビューされたら記事の事前チェックが必要不可欠」という話が出てくるのも、こういうことが結構あるからってのが大きな要因だったりする。
話ことばをそのまま文字にしたら雑多なものになるし読み難くなるので、文章として仕立てる時に編集をしたり思い違いなどを修正するのは仕方が無い。それはむしろ記事構成では欠かせないもの。けれど、記者側の思惑や思い込みが勝手に盛り込まれていたりすると、当然激おこぷんぷん丸フルスロットルバージョンになるのは当然のお話。下手をするとインタビューを受けた側の信頼がどん底まで落ちてしまう。
引用元では「やっちゃいけないこと」とあるけど、これはもうそれ以前の常識レベルのお話。ではそういうことを平気でやらかすのは、常識を知らない人なのだろうか。多分そうなのだろう。
法人に属している記者やそのたぐいの人なら、そういうことをしちゃいけませんと上司なりから指導を受けているはずなのだけど、その類のも最近は無いのか、それとも組織単位でそれをアリとしてしまっているのか。全部が全部ってわけじゃないのだろうけど。
自衛手段としてはインタビューを受ける際に状況によってはこれを公開しますよと宣言した上で自分自身も録音などの記録を取っておくことかな、と。幸いなことに、こういう自前での記録も容易になったのが昨今の技術進歩ではある。
一応補足しますが、文章のつながりのために「いい方が変わる」「切り方が変わる」ことはあります。そこで揉めることはある。でも、文意を補うためや、解説・自説補強のために、「言ってないことを言わせる」のはインタビュー原稿ではNG。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年8月9日
とはいえ「箔付けのために専門家に聞いたことにしたいだけ」ということは多々あり、そんな意味でコメントをとられることも多々あり、結果、「言ってないことが書かれた原稿」が出来上がりやすい傾向はあります。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年8月9日
さらりとだけど今回の本質の一つが言及されている。インタビューそのものが主目的なのでは無く、記事全体の権威づけのためにインタビューが行われ、その目的のために言及がねつ造される、都合の良いように改ざんされ、さらには口にしていないことを言ったように書かれてしまう。
昔はそういうことをされても泣き寝入りだった。個人での情報発信能力はメディアと比べれば芥子粒みたいなものだから。でも今ではネットのおかげで泣き寝入りをせずに済むようになった。少なくとも昔よりは随分とマシ。だからこそ、記者のいい加減な創作的文章によるインタビュー記事の実情も暴露されつつあるのだけど。
同じように最悪なのは、意図を無視して言葉だけ切り出す行為。たしかに言葉にしちゃいけないことってあるけど、違うだろって。
— igari tomonori (@igaritomonori) 2018年8月9日
言った言葉ではなく意図というか真意を考えて読者に伝わるように言い換える作業は必要なんだけど、どうにもこの辺を混同している人がいるような気がする。 https://t.co/H8IsRzrhDy
昨今ではこれもまた、そういう情報伝達を業としているはずの報道が、半ば以上意図的と思われるような形で日常的に行っているのが実情です。https://t.co/3scRkWWtKi
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年8月9日
というよりむしろそういうことが横行する、まかり通る、当たり前のように行われるのは、インタビューに限らず報道で似たような話が常識化されているからなのかもしれない。あれがいつもやってるのだからうちらでもいいのだろう、的な。
語り手の意図を正しくとらえ、語られた言葉を正しく編集し、読みやすくする。インタビュー記事では特に、そして報道記事も同様に、そういうスキルが求められるし、それが社会的責務として求められているからこそ、色々な特権が与えられている。
にもかかわらず、自分達の目的のために事象を、言葉を利用するという思惑の方が上回っているケースが多々見受けられるのが現状ではある。あるいは単に正しく意図を捉えられない、正しい言葉の編集が出来ないほど、スキルが絶望的なレベルでしか無いのかもしれない。両方だったら最悪だけど、それすら否定しきることは難しかったりする。
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