「エモい」しか言わない大学生、あなたには感情の高まりを表現する語彙がそれしか無いんですかと毎回突っ込みたくなる。
— 上野瑚子 ミス慶應No.2 (@misskeio201802) 2018年8月7日
趣深いとか情緒があるとか哀愁漂うとか懐かしいとか色々あるでしょう。日本語を大事にしろ。
一時期若者がヤバいを多用すると話題になったじゃないですか、あれと同じ匂いを個人的には感じる。(過激派) エモいっていう新しいワードが出てくるのは絶えず言語は変化するから仕方ないけどね、全部「エモい」で感情の高まりを表現しないで欲しい。
— 上野瑚子 ミス慶應No.2 (@misskeio201802) 2018年8月7日
むしろ、「エモい」でしか感動を表せない人を見かけると、
— 村井博士(Ph.D) (@fera_lady_Z) 2018年8月8日
『感動に至った経緯を言語化できないにも関わらず感動を覚えるということは、感動とは言語性のものではない』ということを科学的に示しているように思えて嬉しい。 https://t.co/JfNWAP777o
そういや最近ちらほら見かけるようになった表現「エモい」。感情的なという意味の英語「emotional」から来たもので、感情が何だか揺さぶられるような状況にあること全般、どちらかというとポジティブな方面で使われる言い回しとのこと。少し前に流行った「ヤバい」と同じような汎用性を持つ言葉かなあ、と。
色々と細かい描写をすればより確実に自分の感情を他人に伝える言葉にできるのだろうけど、その言葉を知らなかったり、上手く結び付けられなかったり、けれどとにかくなんだかな心に響く動きを覚えたので、それをアピールするための言葉。美味しい料理を食べた時に、料理漫画のような色々と細かい説明はできないけど、とにかく「美味い」と表現するのに似てるかも。いや、ちょっとひねった言い回しだから「まいうー」の方が近いかな。
で、そういう連想をしている、分析をしている人は他にもいるようで、「感動とは言語性のものでは無い」という結論付けにはなるほど感。別々の領域に存在していて、それを結び付けるものがあれば、言葉として表現できる。......というか、例えば江戸時代の人に今の社会の仕組みを見せてもそれを言語化するのは難しいし、ましてや言葉がまだ明確に生まれていない時代の人なら言語化すら不可能。でも同じような感情や感覚の発露はある。
「エモい」が古文でいう「をかし」とほぼ同義、もしくはもののあはれの表現に酷似してると気付いてから
— 使用人B子 (@jo8jo_go) 2018年8月10日
「エモい」を連呼する人は清少納言
「エモいで片付けるな」と言う人は紫式部に見える
平安時代に彼女たちが日記でやってた「をかしバトル」を現代のツイッターで繰り返してるの最高にエモい
そのような見方をすると、古文で登場する似たような言い回しにも注目が集まる。「をかし」を「エモい」と似たような立ち位置にあると結び付ける発想は極めて興味深い。確かにその発想は一理ある。そう考えると、人の表現への試行錯誤ってのは、昔も今もあまり変わらないのだなあ、という気もする。
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