デマ潰しについて、報道・著名人・ジャーナリスト・野党が非協力的或いはデマを煽る側に付くと、「テレビと新聞しか見ない層」はデマ検証の機会を持てない。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
また、ネットのデマを真に受ける層は、ネットでは「有名人を一方的にフォロー&身内としか繋がってない」のでは、って気はする。
本日まで限定公開されている怨み屋本舗でも触れられていたけど、情報ってのは基本的に受ける側の手の届く範囲で処理されて判断材料に使われるので、その届く範囲の材料が限定されていたり、さらにはそれを取捨選択する方法論を知らないと、情報を検証する機会は無いよね、という気がする......
...いや、検証する云々では無く、多分に検証そのものをしない、自分の観ている領域の、都合の良いもののみを鵜呑みにしている感じの方が強い。雑誌の商品レビューでお気に入りの評価者の話のみを信じ込んで、何でもその人の言う通りにしちゃう。テレビの某タレントみのなんちゃらさんが言ってたから、その情報は間違いないとか。色々と間違いをやらかしてしまう可能性も高いのだけど、その方が楽なので、そうしてしまう。
しかも昔はテレビとかラジオとか新聞といった、一方向性の情報につかるってのが人の日常生活における情報の接し方のメインだったから、そういう様式に慣れている。メディアが語る情報は全部真実。疑いを持つことがあっても、そういう考えは社会そのものを不安定な思いで見てしまうようになるからダメだ、的な。ああ、これ、単なる宗教じゃないか。
A「よく顔や名前を見かける著名人」の主張と、
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
B「見ず知らずの専門家」「匿名の市井人」の検証が並ぶと、
「よく分からない(自分は門外漢)が、自分が知っている人がテレビ/新聞で言っている。テレビ/新聞は嘘を流すはずがないから、(A)が正しい」
ってなってしまう。
所謂、「どう考えても胡散臭い商品」の類を親の世代が買おうとしてて、それを息子娘が「いやそれ騙されてるって!」と止めようとすると、「だってテレビでいいって言ってたのよ!」ってなって、身内、子供の言葉より、「テレビのほうが真実」ってなる話、割とよく見かけてきた。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
これなんかも、「テレビがそう言うんだから間違いない」っていうの、【権威付けられた保証】をメディアに求めた結果で、当人が理解してるわけではなく、検証を薦める身内の声に耳を貸さなかったりするのも、「よく知らないことについて、改めて勉強して身に着けようとするのは面倒」だからだと思う。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
これは、「皆愚か」ではなくて、恐らく若いうちは慎重だったり好奇心旺盛だったりしたんだろうなと思うんだけど、加齢によって「新しいことを考えるのが面倒」「イチから勉強するのが面倒」「これまでの実績(積み重ね)を捨ててイチから学び直すのが面倒」とか、そういうのもありそう。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
経験値を積み重ねすぎると、その経験から得られる方向性のベクトルが時代遅れ、現状とは異なる方向に行っていたとしても、それを修正するのが大変なので拒否してしまう。下手すると自分自身を否定することにつながるので、それは許しがたい。面倒くさいからやらないってのは、パソコンやらインターネットの習得性向の時にも触れているけど真実だと思う。無論全部が全部では無いけど。
だからこそ、情報のアップデートは欠かせないし、それが出来なくなった存在は単なる過去の遺物でしかない。先日から騒ぎになっている、サマータイムを持ち出してM氏なんかは好例だよな、と。
結果、「今更新しいことを、自分より年下(かもしれない)の見知らぬ(権威もない)誰かに教えて貰うなど、自分のプライドが許さないし面倒」ってなる。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
だから、「調べ学べばすぐ分かる」ことに、学びを拒絶する人ほど引っかかり、隠してデマは拡散される。
善意で。
大抵の場合、デマは【悪意】で拡散されるわけではなくて、【善意】から拡散される。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
誰かに対する誹謗を含む場合なんかでも、【誹謗対象の悪事を、自分が善意で暴くのだ】という衝動で語られ、賛同して拡散される。
善意なのである。
そして【善人】は自身の善意を自覚していて、自分が悪意で悪事を行っているとは思っていない。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
「結果的にデマになったが、善意と正義感からやったことだから許されて当然。自分を騙した奴が悪く自分は悪くない」
善人はこう解釈する。
で、このように「自分は悪くない」と自己免罪しちゃうとどうなるかというと、【同じことを繰り返す】と思う。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
だって善人の自分は悪くなく、騙した奴が悪いのだから、同じようにまた誰かを鵜呑み(信用)するのは悪ではない、ってなるから。
善人は何度も騙され、何度もデマ拡散に加担する。
善人であろうとすることは別に悪いことじゃないとは思う。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
人を信用するのも悪いことではないだろう。
誰かの役に立ちそうなことを広める手伝いも悪くない。
自分じゃない誰かのために怒るのだって悪いとは言えない。
これらが積み重なった善人が、【デマ拡散】の中核を担うわけだけどな。
それらを重ねて考えると、デマの抑止、解消、予防を、【個々の善人の自助努力でどうにかさせようとする】っていうのは、もう構造的に無理なんだと思う。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年7月12日
ファクトチェック機構の構築とかあるけど、あれもその機構が偏ってたら門外漢の善人には見破れないしなあ。
悪意のない、善意で成される悪業ほどたちの悪いものは無い。宗教みたいなものだから。なので、徹底的に叩き潰すしか方法がないんだよねえ、という感はある。
他方、ファクトチェック機構云々という話も出てるけど、これとて米国での設立プロセスとか日本での話を見れば分かる通り、多分にフェイクを流す側が自らの正当性を肉付けして、フェイクに仇なそうとする側を叩くための武器として正当化しているだけの存在となってしまっている。ヘイト云々周りのポリコレと同じ扱いなんだよね。正義の御旗を自分で作って正当化する道具に使われてしまっている。
なんかもう、色々と手づまりなのかなあ、何かもっとよさげな方法がありそうな気もするのだけど。怨み屋本舗の例の村の章にある「まとめサイトに書かれていることを鵜呑みにする自称正義の味方」関連の話を見て、色々と考えていただけに、ぐるぐると頭の中に渦巻くものが明確化しなくて困ってしまうのだな。
コメントする