「可処分時間」には別の考え方もあって、特にマニアは「積ん読」「積みゲー」という習性があり、プレイ可能な量以上の商品を買って保管しておく事例がある。「限定品」に至っては般消費者にもかなり訴求できる(=今すぐには要らないのに買ってしまう)。電子では、この現象が無くなったかもしれない。
— 赤松健 (@KenAkamatsu) 2018年7月12日
この辺りの話は頭にもやもやした部分が多分にあって、恐らくはブレストの類が必要なんだろうなあという思いがあるので、覚え書きの面が多いな、という但し書きをした上で。サービスもいつかはつぶれたり仕様変更をしたり一部コンテンツの終了とかがあって、実のところ「永遠に提供され続けるよ」という話は欺瞞に近いのだけど、少なくとも自分が覚えている間は大丈夫だろうなあという環境ができると、いつでも手に入る魔法の倉庫が用意された状況になり、その方面に対する欲求が随分と様変わりしてしまう。
SFなどに出てくる必要最小限の物品はすぐに手に入るような、そんな世界。スタートレットのレプリケーターの存在がいい例かな。いつでも手に入るのなら焦る必要はない。さらにデジタル系のものならば自分の物理的領域を侵略することも無い。せいぜい覚書をしておけばよいもの。
ところが物理的な対象物となると、いつか手に入らなくなるかもしれないという危惧感から、とりあえず手にしておこうという行動性向が生じることになる。いわゆるキープというもの。仕立て屋における生地の収集と、その収集の成果による選択肢の拡大という解釈と同じではあるのだけど、趣味の領域では「無くなってしまって後で地団駄を踏むよりは、積んでおいた方がマシ」「集めてニヤニヤするだけでも価値がある。自分がそれを手にする想像のきっかけを得ることができる」という、ちょっと変わった楽しみ方の方法論用ツールとしての意味合いも持つ。
電子版のコンテンツでは、これら物理的なアイテムの楽しみ方、現象が薄れているのかもという指摘。ああ、ニュアンスとしては何か当方のずれが生じているかもしれないけど、何となく分かる。
電子でも「プレイリストに突っ込む」「キューに入れる」のは「積ん読」的なものだとは思ってます。でも、やっぱり「ブツがあって手に入らなくなるかも」という点はポイントなんで、物理コンテンツの最大の利点(あくまでビジネス面。消費者には......両面w)ですね。「積ん」系。 https://t.co/yDbRta5h18
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年7月12日
まあでも、コミックはだいぶ「けっこうなものがある」段階にはなってると思います>電子
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年7月12日
過去のものでも「出すと損どころか得」っていうのがもう少し、ビジネスモデル面も含めて強くなれば、とは思いますが。
デスクトップにアイコンを並べる、ブラウザにブックマークを追加する。で、一杯になるわ、チェックをしてみたらサイトやサービスが無くなってるわ的な(汗)https://t.co/YxiGFuJV9W
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年7月12日
無論電子媒体でもブックマークをまとめたり「いいね」をしたりプレイリストに納めるという形で積ん読的な積み方は可能。でもなんか違うんだよね、物理的な積み上げを経験した人にとっては。安心感があるというか。電子の積みは希薄さが強いというか、本当に消えてしまいそうな気がする。物理的な積みのものが火災とか水害で一気に消えてしまいかねないってリスクが容易に生じてしまいそうで。ドラマとかでよく見かける、通帳の残高を気にするより、自分の手持ちの金庫に札束やら金塊を収めた方が安心できるってやつ。
現在公開中の部分は全部読みました。このカットに魂を揺さぶられたのです。単行本だと4~5巻分が相当するのかな。この部分だけほしいかも。 pic.twitter.com/pA6rYZXcgY
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年8月10日
先日一部無料公開をしていた『怨み屋本舗 WORST』では例の「村」の話をネタにした章があったのだけど、そこでもこういう話が語られていたりする。まさに電子の積みの希薄さってのは、この感覚できないかなと思ったりする。
無論これは見方を変えると、情報そのものへの対価をしっかりと認識できていないという表れでもあるのだけどね。
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