「技術的・理論上は不可能ではない」と「ならやってよ」と

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似たような話としては医師における治療関連の話で「絶対」という言葉は使えないとか、科学分野における「可能性がゼロ」という言い回しは厳禁だとかいうものがある。数量的、統計的な考えをしっかりと持ち出すと、その辺の話も厳密なものにしなきゃならなくなるからね。普通のサイコロを100個同時に振って全部1が出ることは滅多に無く、一般的には「あり得ない」と表現してもいいのだけど、統計の上では可能性はゼロでは無く、「絶対あり得ない」とは言えない。

でも、そのレベルの話でも「ゼロでは無い」「不可能では無い」という事実として語ると、「ならばできるよね」という話にしてしまう人がいる。ゼロイチでしか物事を考えられないというのか。その類の人って多分に、投資などをすると必ず自分が想定している、得をするような場面が必ず生じると思い込み、失敗すると「成功するはずなのに」と逆切れしたりする。

で、似たような話として「技術的には不可能では無い」という言い回しを使うと「やればできるのだからやれよ」という無理強いをするスットコがいるというのが、それに対するのにはどうしたらいいのかという話。まぁ、確率が事実上ゼロに近いのを引き上げるのには、相応のリソースが必要であるってのを切れ間なく伝えるのが大事だな、と。

例えば日本と米国を海底トンネルで結んでしまうという話があったとして、理論的・技術的には可能だろうけど、予算はどうするのかということになると、現実的では無いってのが分かる。月面の有人都市構築でもいい。費用対効果の観点で、意味が無いってことね。そりゃ例えば「シムシティ」で予算が無尽蔵のチートモードを使って、どんな公共投資でもノープロブレムって感じならば話は別だけど。

こういう手合いは多分に「できるできない」ではく「いくらかかるか」で判断するので、その判断材料を叩きつけるのが一番ってのは言い得て妙ではある。


これは見方を変えると、リソースが投入できる状況であれば、夢の少なからずは現実フェイズに移行できるという考え方でもある。さらに現状は技術的にですら不可能なものでも、その技術促進にリソースを投入することで可能になるかもしれない。

まぁ、この辺りは「シヴィライゼーション」なりの技術発達系・都市経営スタイルのシミュレーションゲームで遊んだことがある人なら、ああ、あの感覚かとすぐに分かるはずなのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2018年8月16日 07:19に書いた記事です。

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