東日本大震災の時だってそうだよな。広がらないというか、SNSはまだ拡散力が弱い。結局のところテレビや新聞がまだ情報の拡散力は強くて、そういう所がちゃんとした専門家を使わない
— koume@もち米は餅米でなく糯米です (@koume_nouka) 2018年7月10日
そもそもデマゴーグだってメディアに出るときは専門家みたいな体を装って出てくるからね。常石敬一は「毒ガスに詳しい大学教授」だったし、武田邦彦や田中優だって素人としてメディアに出る事は決して無いわけで
— koume@もち米は餅米でなく糯米です (@koume_nouka) 2018年7月10日
ソーシャルメディアだってツールの一つでしかなく、万能なアイテムってわけでは無い。結局はそれを使う側の使い方次第で何の役にも立たないこともあれば、比類なき有益なものとなることもある。これはどんな道具にも言える事なんだけど。
で、メディアに出てくる専門家の類は、概してその肩書を使った役者だと思った方が正解だということが多い。メディアは事実を伝えるのではなく、ビジネスとして儲かる、客引きが良い、視聴者(現在の日本ならば多分に高齢者)ウケが良いものを情報として伝達するビジネスをしているだけに過ぎない(ので、報道の社会的意義は存在していないし、だからこそその意義を果たすのと引き換えに得られる特権のあれこれははく奪されなきゃいけないのだけど)。
自分もそう思っていた。しかし、豊洲問題のとき、どれだけ専門家がSNSで声をあげても、その声は大手マスコミに届かなかった。劇場化した政治は100条委員会のような吊るし上げショーにまで発展して「科学が風評に負ける国辱」を味合わされた。正直SNSを過大評価していたと思った。 https://t.co/2CeQNJFVtK
— ほうがくともどき (@student_lawjpn) 2018年7月8日
で、よく考えてみると、昔も情報精査にそれなりに長けていて情報網も確保していた、今では誰にでも容易に使えるネットを当然使えるのだから、大手報道メディアがネットに広まっている情報を知らない、耳にしていない、目に留めないはずは無いのだよね。ネットにある情報だって玉石混交ではあるけど、ネットが情報伝達のツールでしかない以上、それは現実の話だって同じこと。
そのような状況であることを考えると、「大手マスコミには届かない」では無く「大手マスコミにも届いているかもしれないけど、都合が悪いから、ビジネスに役立たないから、報道という立場からは外れて見なかったことにする・聞かなかったことにする」というのが、より正解に正しいのだろう。
事実を伝えるのが責務であるにも関わらず、その素材が容易に手に入るようになったにも関わらず、より簡単に稼げる方を頼ってしまう、利用してしまう。その方が楽ではあるけど、それじゃ仕事をしてないよね、と言われても仕方が無い。地元の素材を使った本格的な手打ちラーメンの看板をかかげ、地元産業の促進にも役立つからと補助金を受けておきながら、出しているのは海外産のインスタントラーメンだったりする食堂と同じようなものだなあ、という感は否めない。要はインチキな商売ってことだ。
結局はそういうインチキなことをしても、罰せられることは無く、懐が温まるからこそ、繰り返され、エスカレートしていくのだろうなあ、と。
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