昔、設計と言うものをある分野で学んだときに念入りに言われたことを思い出した。当時はまだ紙に書いていた時代だったが、「消しゴムは使うな」と。検討中に「間違った」と判断して消してしまうと、その瞬間に「検討の結果駄目だと判明した案」が消滅してしまう。消しゴムの範囲によっては
— TFR_BIGMOSA (@TFR_BIGMOSA) 2018年9月1日
今件の話がどこまで事実かを裏付けるものは無いので、あるいは作り話的なものが混じっているかもしれないけど、色々と納得できる部分も多いので覚え書きとして。
自分の過ちのプロセスを記録しておくのは結構辛いし、作業的にも色々と面倒なところが多いのだけど、後々になってそのあれこれが役立つことは多い。スタートとゴールしか記録に残っていないと、どうしてこの結果に至ったのか分からず、そこから先への発展やら改善の時に、いわゆる車輪の再発明的なことをしなきゃならないこともある。本人は必要ないかもしれないけど、組織などでの作業の場合には、他人がそれを把握しておく必要があるかもしれない。ソースコードでの注釈とかが良い例かも。
ラノベというか異世界物でも多いのだけど、技術のショートカット的な手法でレベルをインチキ技的に引き上げてしまうと、過程が省略されてしまうので、周辺の環境がおざなりになったり、使う側の倫理観が付いていけなくなったり、さらなる技術の発展が出来ずに突然止まってしまうことになりかねない。「パンプキンシザーズ」でも問題視されていた、あの話。それが個人レベルで起きてしまう。個人の集約で社会は構成されているので、社会全体がそうなる可能性も否定できない。
検討過程まで消えてしまう。後に業界を移って、日本の航空機メーカーが戦後立ち直れなかった理由のひとつとして別の話を聞いたことがある。「トレーシングペーパーに鉛筆で描いては消して書いては消しての繰り返しだったから、たとえ終戦時の資料焼却が無くてもノウハウ伝承は出来なかっただろう」と。
— TFR_BIGMOSA (@TFR_BIGMOSA) 2018年9月1日
当たり前だといわれるかもしれないのだが、ここ数年は問題点あるいは疑問点を指摘されるといきなり全消ししてしまう人が現れるようになった。そして中年組みが慌てて「消すな!」と怒鳴って新人を萎縮させてしまう。悪循環である。何か悪循環からの脱出手段を考えねばならない。
— TFR_BIGMOSA (@TFR_BIGMOSA) 2018年9月1日
実務に入る前に「検討資料に問題が指摘されても消してはいけない。これこれの指摘があったと書き足しせば良い」と導入教育を行うべきだろう。また、「いきなり完璧なものを書く必要などどこにもない」「丸写しすべき模範解答なんてない」を改めて強調しないといけないだろう。
— TFR_BIGMOSA (@TFR_BIGMOSA) 2018年9月1日
無尽蔵に覚書とか失敗を残しておいてもきりが無いし、その類の資料やら情報が軽視されがちな世の中である事は否定しない。けど、すっぱりと全部捨ててしまったのでは、一つ一つのつながり、ラインにおいて、少しずつ足止めを食らってしまう、先に進めず後ろを振り返ることもできなくなる、そういう事態が生じる危険性があるのだよね。
デジタル上の作業、特にパソコン、さらにはスマホ上では、その類の削除が容易に行われてしまうので、情報の継続やらプロセスの断絶が、かなり大規模に生じるかもしれないなあ、という危惧もあったりする。気軽に扱うことができ保存できるだけに、油断してしまい、逆に気軽に捨ててしまって取り戻せなくなるとか、ね。
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