覗いている側は同時に覗かれている。報道界隈も覗かれる時代に

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これは切り口を変えた上で何度か言及している話ではあるけど。情報の性質が大きく変わっていく中で、これまでの常識が通用しない、本質が露呈しているというお話。テレビが良い例だけど、一方向性の、少数から多数のそれぞれに対して一方的に投げるだけ、受け取る方は疑問も持たずにただ受け取るのみで、疑問を持ったり反論をしたくとも情報発信能力が無いので独り言をするだけっていう時代は終わってしまっている。

終わらせたのはインターネット。だから、今でも新聞やテレビに頼っている人は、前世紀の「レガシーメディアの支配下にいるままの存在」でしかないのだけど。それの方が楽だってのも事実なので、それをとがめるつもりはないのだけどね。「マトリックス」の幻想世界の中で生活を望むのかという感じ。赤と青の薬のどちらを飲む?

とまれ、報道界隈の人達は、今や自分が取材をしている対象から、同時に取材を受けているのと同じであることに注意をした方がいい。取材をする対象自身も、報道と同様の情報発信能力を持っているのだから。実際に公知する力はけた違いだろうけど、内容次第ではテレビや新聞以上に周知される可能性がある。

対応次第で、取材する側の能力が測られる。実はこれ、ずっと前からの話。問題なのはその事実を不特定多数に周知される可能性が出てきたということ。何か勘違いしているかもしれないけど、「素人感覚で」が求められていたとしても、本当に素人で無いといけないってわけじゃない、むしろそれじゃいけない。


報道は一方的に搾取する側から、真剣勝負で戦い、それを皆に披露する立場となっている。昔は質問された側が得た情報が、質問された本人にのみの取得に留まってしまうため、過去においてはマスコミの実情は世間に周知され難かった。無茶苦茶な、失礼な質問をされて、書かれた記事もひどいものだけど、取材を受けた側はそれを伝えたくても発信能力は無いし、名誉棄損だと訴えようとしても法的なレベルで無ければ黙殺されてしまう。けれど現在はSNSで幅広く広まる次第。情報の性質が大きく変化した結果ではある。

そんな新時代に突入しているということを、報道に組みする人のどれだけが理解しているのだろうか。そもそも「報道とは何ぞや」というレベルに至っているというのに。

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このページは、不破雷蔵が2018年9月17日 07:15に書いた記事です。

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