戦時や戦争直後を語ることの意味と注意点

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人間の記憶ってのは随分と曖昧なので、経験者の語りは重要であるけど、同時にその記憶が事実とは異なるもの、改ざんされていることも多々あるので、鵜呑みにするのは極めて危険であるってのは、以前から何度も言及している。現場至上主義がはびこると、その当事者の無意識なミス、さらには思惑で色々な悪意が成されてしまう、改ざんされてしまう。

そして今件で指摘されている通り、時間の流れによる社会の動きは大きなものであることから、昔の常識がそのまま現在でも通用するかのような話をすると、ちぐはぐなことになりかねない。その具体例として70年という仕切りを挙げているけど、これは太平洋戦争が終わった1945年に70年を足して2015年となることから、現在から大体70年あまりが経過しているよねという話からきている。戦時や戦争直後の話を基に、現在が同じであるかのように語るのは、それこそ明治維新から太平洋戦争開戦までの違いに等しい...って、太平洋戦争は1941年に始まったから、そこから70年を引くと1871年、で大体あってるな。明治元年は1868年だし。

技術進歩による時間の圧縮化というのは、仕事の成果の観点で考えれば容易に理解できる。同じ時間・人手で仕上げられる成果がどれだけ増えたか。道具やそれを操る人の知恵そのもののレベルが底上げされている。さらに今世紀に入ってからはインターネットの普及により、情報の性質が次元レベルで変質を遂げ、圧縮度合いも加速度的なものとなっている。さらに蓄積し過去を覗くことも可能に。ある意味、時間すら超えることも容易になった(過去をさかのぼることは昔から文献などで可能ではあったけど、けた違いに簡単になったってこと)。

だからこそ、情報のアップデートをしない・できないロートルな方々による弊害もまた、大きなものとなっている。極端な例えだけど、単純な時間計算での10年前の話が、前世紀における100年ぐらい昔の話ぐらいに時代遅れなものとなってしまう。例えば2018年における「10年前」は、1918年における「100年前」ぐらいの話になってしまうということ。

加速度的な進歩によって、絶対時間の差で生じる格差が大きくなってしまうので、いわゆるロートルな問題も累乗的なものとなる。社会の弊害は技術進歩と高齢化で累乗加速する...っていうのは、以前も言及した記憶があるような気がする。

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このページは、不破雷蔵が2018年9月19日 07:27に書いた記事です。

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