これはとんでもない大間違い。むしろ公教育は理解できなくともいいから詰め込むべき。「中味は分からないが、そういう知識がこの世に存在する」というインデックスを頭の中に持っていると漏っていないとでは大違いになるから。このインデックスがないと、必要な時に検索に頼ることすらできない。 https://t.co/cHaAUo4eBp
— 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) 2018年9月17日
基本知識の大切さは切り口を変えて何度か言及した記憶があるけど、こんな話もある。義務教育などの公教育では、詰まる所、内容や仕組みをがっつりと理解できなくてもよいので、とにかくそうなんだというレベルの話を覚えさせる必要がある。無論、ちゃんと理解した方がよいのには決まっているし、その方が覚えやすいのも事実ではあるけど。例えば円周率とか数学や理科の公式に関して、すべてにおいてその公式ができるプロセスや理屈を理解している人はどれだけいるだろうか。
で、とにかく知っている、記憶として残っているものがあれば、それ自身を事実、正しいものとして認識して利用するだけでなく、それをインデックス、つまり足掛かりとして何か別の事柄を精査することもできやしない。以前【「ググる」と「教えてくん」と「連想」と】でのお話そのもの。
調べたいものそのものの名前や現象を知らなくても、連想するものがあれば、それを頼りに辞書を引いたり検索を行うことはできる。その足掛かりとなるものが基礎知識部分であり、公教育で学ぶもの。極端な例だけど、数字の概念や言葉そのものを知らなければ、調べるという行為自体ができないけど、それらは公教育で取得するものだよね。
つまり、公教育で色々と詰め込むってことは、自動車運転における運転免許証の取得と、それに伴う自動車の運転の技術のあれこれを学ぶってことと同じなのだな。
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