最近増えてきたのが、「ゆっくりと話を聞いてあげてもらえたら」「本人は辛いと思うので、その気持ちに寄り添ってあげて対応してもらったら」といった要望。大抵、「それだけでいいんです」と続く。
— psykoma (@psykoma) 2018年9月25日
おいらは、「それが、本当は一番高価なサービスなんですよ」と切り返すので、嫌がられる......
この辺りの話って、結局は形にならないものはタダだという概念があるのが主要因かな、という気がする。情報には対価など要らぬ、というものと似ているよね。でも、例えばお医者さんの問診が、時間の長さで料金が積み増しされていくように、相応の技術や経験をベースとして、相手の状況を判断して応対するのって、ものすごくコストがかかるもの。それでなくても話を聞いてもらうってのは、相手の時間を奪うことになるから、それだけでも高価なものとなる。
この辺りの話が一番分かりやすいのは、通話による電話とメールの違い。通話って相手の時間を拘束しないとやり取りできないよね。でもメールなら相手の時間を束縛しなくてもいい。だからソーシャルメディアでよく問題視される「既読疲れ」とか「通知疲れ」ってのは、コストがかかるものなのにそれをロハで強要されているからってのも多分にあるのではないかな、とか思ったりする。
高齢者が悪徳商法や訪問系の詐欺商法にダマされやすいのも、加害者側が色々と親身に話を聞いてくれるからというのが一因だったりする。「なんかおかしいとは思っていたけど、話を聞いてくれたから」って被害者の声はよく聞くよね。
相手を束縛するってのは、それだけ相手のリソースを奪うってことに、もう少し気を配るべきじゃないのかな、という気はする。
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