「YouTuberだったら何をしても許される」の原因は何なのだろう

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無論すべての動画出演者がそうであるというわけでは無いのだ消し、生存者バイアスみたいなものでやらかした人が目立っているだけの話も否定はしないけど。絶対数としてタイトルにあるように「YouTuberとしての行為だったら何をしても許される」という雰囲気が、一定のレベルで存在していることは否定しようも無い。

果たしてそれを動画にアップするということを前提にせず、日々の生活の中で同じように成すことができるのか。無論それが自身の中で完結するのなら個人の勝手になるのだけど、他人に迷惑をかけたり違法・不法行為となるようなこと、不特定多数を不快に至らしめるようなことはどうなのだろうか。

恐らくは多分に、YouTuberとしての行為なのだから、免罪符が発行されているという誤認をしているのだと思う。自動車を運転していると自分自身が自動車と同じ能力を持っているように思えてしまうとか、双眼鏡で遠くの建物を見ていると、それらがまるで自分の目の前にあるかのように思えて、つい手を伸ばしてしまうとか。

で、何で免罪符がという考えになり、そこで行きあたったのは報道メディアの所業。普段テレビや新聞、雑誌などで日々報道記者が無茶ぶりを披露し、それを報道の自由が云々、伝える責務がかんぬんということで正当化し、非難することを一切許さず、むしろ賛美すらしている。ならば同じような手段を持っているYouTuberも、同様のことをしても問題は無いのでは、と考えることは容易に理解できる。

報道界隈の所業と、YouTuberのやらかし事案との間で、どれだけの違いがあるのか。メディアスクラムを成す報道記者勢にYouTuberが混じっていたとして、同じようなことをYouTuberがやったとしても、誰も非難をできなくなってしまう。

悪質なまとめサイトだって結局は報道界隈の方法論を継承しているだけだよね、という話も以前したけど。見本があるのだから、それを明記していなくても、真似をしてしまうってのはモノの道理ではあるのだな。

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このページは、不破雷蔵が2018年9月24日 07:56に書いた記事です。

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