「『理解できなくてもやり方だけ覚えろ』は教える側が楽。気をぬくとついやらかしてしまう手抜きなので、意識して避ける不断の努力が必要」と、教員になってから理解しました。
— Hiroyasu Kamo(@kamo_hiroyasu) 2018年9月28日
教育は単なる知識の伝達ではなく、考える力を育てるというのが大事なのですが、それがわかっていない教員も結構います。情報が氾濫している現代、知識の伝達だけの教員は不要になって行くと思います。ただ、知識の伝達に偏った授業は生徒にも負荷が少ないので生徒にも受けが良かったりします。 https://t.co/bI0AbBcCrN
— 外来ザリガニは食べて駆除 (@winecology) 2018年9月29日
理解できなくても覚えるだけとにかく覚えろ。基礎部分の知識に関してはそういうことも必要だ。なぜなにを解説するための知識が無いのだから。言葉そのものとか掛け算九九とかがいい例かな。あとは公式とか。ただ、そういうものであっても、どうしてそうなるのかぐらいは知っておいた方がいい。
他方、基本の上に積み重ねていく教育レベルになると、それを使う時のノウハウというか仕組みそのものが大切なものとなってくる。無論、それを教える側も大変だし、成果が見えにくいので短期間では評価もされがたいのだけど。
ただしこれは、ゲームの攻略法を教えるようなもので、そのパターンから外れると対応が出来なくなる。その方法に至ったのはどうしてかを理解していないから、パターン外の反応には対応できない。「どく攻撃には毒消しだ」と知っていても「もうどく攻撃」が来たら分からなくなってしまう。「もうどくって毒の強化版みたいなものだから、毒消しを何度も使うとか、強い毒消しの薬が必要なのかな」と考えられるのは、「どく攻撃」が「毒による攻撃である」ということを知っていなければならない。
結局これなんだよね>回答だけ出来るようになれば理解はいらない、という教え方は習うほうも手抜きできる
— KGN (@KGN_works) 2018年9月30日
しょせん手抜きなので、後日、詰みます。
「知識の伝達」ですらない、「テストに過剰適応した回答作成方法の伝達」ですわなあ。
— KGN (@KGN_works) 2018年9月30日
それだけで医師国家試験まで乗り切るような奴もいる。
車の教習所の車庫入れでも、三番目の縁石を目印にハンドルを切れとか教わった気がする。その教習所でしか使えないじゃんと思った(笑)。 https://t.co/IuOHGOqZ6R
— PROJECT EUPHONIUM (@PROJECT_EUPH) 2018年9月30日
視力検査に備えて保健室の検査票を暗記していたら、検査当日は別の票が使われたというパターンかな。教える側は手間もかけずに短期間的だけど具体的な成果を得られるので評価され、応用や理由を学ばせるよりはコスパがいいので、そちらに傾注しがちとなる。テンプレだけの教育で行き詰ってしまうとしても、その時には教えた側はどこかに行ってしまって責任など発生しないし、第一応用力に欠けているので自分がなぜ行き詰ったのかすら分からない可能性もある。
色々と面倒くさいのだけどね、教える側は。そして学ぶ側もすぐに成果は出ないので地団駄を踏むだろうし、大変だったりする。でも長期視点で考えると、得をするのは応用力の方だったりする。藁ぶきとレンガの家の違いのようなものだな。
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