先日、某建築エコノミスト氏が「釣り」宣言をして前後の発言に全く信用がなくなってしまったという出来事があったが、構図としてはそれに似ている。
— ebi kosuke (@ebi_kosuke) 2018年10月16日
言っていること、書いてあることの何が本当なのかわからない。となれば第三者としては、全部ウソではないかと判断するのが合理的。
どこのだれかとは特定しないけれど、東京の新市場に絡んで問題の深刻化に大きく「貢献」した重要人物が、大きな話題を呼んだ発言の一つに関して「あんなのウソだよ、初めからデタラメだって分かった上で言ったんだ、話を広げるための釣りだよ、ばーか」的なことを公知した件について。「バカ向けに作った情報拡散トラップ」だったかな。
で、今件でむしろ得られた見地としては...というか話の流れとしてはこの見地が先にあり、それを元に現在進行形の似たような事案があるってことなんだけど、言っていること、書いてあることのうちどれが本当でどれが偽物か分からないとなれば、全部をうそと見なして近寄らない、耳を貸さないのが一番合理的であるってこと。当たったら言葉通り食中毒に当たってしまうような、ロシアンルーレットを試されるお食事処で食事をしたくはないよね? 他に選択肢があるのなら。
これはサブプライムローン問題と同じ。混ぜご飯の具材の一部に毒性のものが確認されたら、その具材だけを取り除くのではなく、混ぜご飯そのものを廃棄する必要があるってこと。
これが仮に意図しないでのうそ偽りならばそういうこともあるよね、とか、当時は本当のことだったはずなんだけど結果としてうそになってしまったのなら仕方が無いよねってのもある。けれど発言した、公開した当初からうそだと分かっていて、それをあえて本当のように発言し、それを維持し続けたとか、途中で間違いと分かっても頑なにそれを認めなかったりしたら、「他にも同じようなことをやってるのでは」と疑われても仕方が無い。
今の報道界隈、特に新聞やその関係者もまさに、この状態にあるんだよね。まぁ、オオカミ少年の話をご存知かな、というところだ。
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