新聞記者は別に市民の代表でもなんでもない。
— もへもへ (@gerogeroR) 2018年10月19日
東京新聞の代表にすぎないよ。
市民の代弁者というのは「選挙で選ばれた人」しかありえないと思う。 https://t.co/KPdnc46S59
少なくとも新聞記者の専門外において、自分より物事を正しく論じられると認識してあげなければいけない根拠はないよなあ。
— 高川 新一@諏訪さん (@HANDBIT) 2018年10月20日
何を根拠に、彼らを私より優れた人間だ、私にモノを教えられる人間だと考えればいいのか。
タイトルで終わってしまう案件だな、という気はするのだけど。元々報道界隈にはそのような意味合いを持つ、というかその前提で立ち上げられ運用されてきた面があるのは事実だけど、それはあくまでも自称以上のものでは無く、第三者の認証や裏付けのある数量的なもの、公的機関の保証の類はどこにもない。
正義の味方を自称して、勝手に真夜中に大声を挙げながら防犯の見回りをするような人、といった感じ。そしてその人が不法にゴミ回収所を漁っていたり、のぞきをしたり、さらには気に食わない人の家の周辺で騒ぎ続けたりゴミを投げ入れていたり、という状況なのが現状。
自分の立ち位置、存在意義を勝手に宣言し、それを体現化するために努力するのはかまわない。むしろそれは称賛されるべきお話。だけど、それが最初から既定事項であるかのような前提で、その権限を当たり前であると他人に向けて強要するのは筋違い。自動車を運転したい人が、自分は運転したいからと免許も取らずに乗り回していたら、お縄になるってまでの話。
なんで新聞記者風情が市民の代弁者なんだよ(笑)。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
東京新聞の入社試験以外の選抜受けてないイソコに、東京新聞以外の何の代表権があるんだよ(笑)。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
何か勘違いしているが、政治家に対して新聞記者が取材するのは「市民の代表者に対して企業の代表者が取材する」という構図であってその逆じゃないだろ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
政治家は市民の与り識らぬところで勝手に地位が決まるものではないだろ。新聞記者と違って市民が直接自身の持つ一票を投じて選んだ代表者じゃないのか。新聞記者というのは、その市民の代表者がちゃんと仕事しているかどうか情報提供しまっせという市井の情報サービスに従事しているだけの身分だろ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
当節新聞記者一般の何が嫌われているかといったら、その何の理路も根拠もない思い上がった態度なんだよな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
戦後新聞記者の地位が大幅に向上して高給取りの知的エリートと見なされてきた期間が長かったが、結局SNSでのあれやこれやでその薄っぺらさが暴露されて「所詮ブンヤ風情じゃねえか」くらいまで評価が落ち込んでいるという認識がないとそもそも話にならない。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
SNSで名の識られている記者アカウントでポジティブに評価されている人なんてほんの一握りじゃん。大多数の記者アカウントは新聞記者という肩書きに伴う他者に対する影響力を利己的に使ってるクズばっかりだよな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
新聞記者やジャーナリストが世間から尊敬される職業だと見なされるには、民主主義的な規範が社会的に受容される必要があるので、新聞記者が知的エリートで尊敬すべき職業だみたいな概念は明らかに戦後の発想なんですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
なんでジャーナリズムには尊敬すべき社会的機能があると見なし得るのかといえば、それは市民が自身の自主的な判断で選んだ代表者が行う政治について個々の市民が責任を負うという現代的な民主主義の規範があるからでしょう。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
そのシステムが成立するには、市民に対して公正な情報開示が行われる必要があるからジャーナリズムは重要なのであり、その従事者は尊敬されるんですよ。だから、現代的な民主主義以前の政治システムではジャーナリズムというのは単に面白おかしく世間の噂話を吹聴するメディアにすぎないわけですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
SNSで暴露された記者アカウントの体たらくを見ると、おまえら民主主義を支えるジャーナリズムに従事する弁えとかカケラもないただの瓦版売りだなとしか思えないから、現在只今新聞記者という職業の評価がダダ下がりになってるんだよな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
新聞社が巨大なメディア産業となりその社員が高給取りになったことで「所詮ブンヤ風情」という出発点が忘れられてオピニオンリーダー気取りの新聞記者が無闇矢鱈に増えたのが迷惑ですねぇ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2018年10月20日
大体語りたいことは語られてしまっているので、ざっくりとまとめてみる。あんたらの代表だと勝手宣言して、好き勝手なことをされたら困るし、その権限の裏付けはどこにも無く自称なだけなんだよね。元々そういう危うい立場にあるのだけど、それでもその宣言に沿うべく、認めてもらうべく、誠意をもって行動すべきはずなのに、多分にその宣言の履行で得られる権利ばかりを声高に叫び、濫用するから、「何言ってんの?」というツッコミをされることになる。どこぞの近所の変な人が、自分は警官だと自称して気に食わない人を好き勝手に拘束するのと何ら変わりは無い。
ああ、オピニオンリーダーが「市民の代弁者」なる自称権限を濫用しているってのは、言い得て妙だな。
それと瓦版云々とあるけど、瓦版売りは商売のため、せいぜい売上を伸ばすための大げさ表現に留まるけど、今の記者の少なからずは世間を扇動したり誤誘導したり自分の思惑に勧誘することまで画策している、宗教や反社集団の機関紙的思惑もあるので、瓦版未満だと表現できてしまうのが、悲しい現実だったりする。
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