いらすとやのイラストのこだわりを軽視したらダメ。
— 理央 ゆかりっくフェス10/6参戦 (@Rio_M) 2018年10月27日
いらすとやの素材は反転して使用しても違和感が無いように人物素材に服のボタンやポケットが書かれていない。色々な髪型の、色々な服装の、複数の人物が存在する。種類の豊富さもすごい。
誰にでも親しまれるイラストを書くことの難しさよ。
このままだと、いらすとやが違うタイプの絵を描くイラストレーターを雇って、同じタイトルでも違うテイストの絵までも用意するPFになっちゃう。そこを「このままでいいのか!」っていうのは変なのよ。今しかないのですよ、違うテイストの絵で同じことができるのは。そういうレイヤーの話なんだから。
— S (@satotakes) 2018年10月27日
むしろ、クリエイターはいらすとやにイラストを差し出すことで、これまで無断で使われていたかもしれないイラストに対価をもらえるようになるかもしれない。
— S (@satotakes) 2018年10月27日
新聞紙は無くなるかもしれないけど新聞社は無くならないし、レコード会社は無くなるかもしれないけど、音楽は無くならない。そういうこと。
最近では官公庁の資料にも平気で使われているいらすとやさん。あらこんなところにいらすとやさん的な、昔のレトルト食品のCMすら脳内に流れてくるのだけど(古いよ)、なぜあんな平凡なイラストがここまで浸透したのか、考える意味・価値はある。
色々な視点や理解があり、どれが正解であるかとは断言できないし、作り手側がどのような発想の上で創作しているかは恐らく語られることはないのだろうけど、なるほど感を覚えさせる指摘ではある。確かにその指摘の上であらためて確認すると、そのこだわりが分かるのだよね。ちゃんとしたルールの下で創られている。
ちょいと昔に「いらすとやさんのタッチで●×を描きました」というのがあったけど、まさにあんな感じの流れになるのかな、という気はする。もっともいらすとやさんのポリシーとして、作成対象とならない属性って結構多いから(だからこその利点ではあるのだけど)、採用云々ってのはまた別の話ではあるのだけどね。
「『いらすとや』が日本のクリエイティブを殺す」とかいう大仰なツイートが流れてきましたが、せいぜい「同じようなほんわか系イラストで食ってる同業者が死ぬ」くらいの話だと思いますし、「主語が大きい」ケースとは別に「目的語が大きい」Twitter話法というのがあるんだなと学びました。
— まことぴ (@makotopic) 2018年10月27日
いらすとやには独特の「ほんわかした絵柄の奥に潜むドス黒さ・狂気」がある。あの感じ、何かに似てると思ってたけど、さっき分かった。さくらももこだ
— 解答略 (@kaitou_ryaku) 2018年10月27日
クリエイティブを云々ってのは直接は見なかったし見たとしても引用はしないけど、まぁ、指摘の通り同業者がややキツイ思いをすることになるのだろうなあ、という程度の話。他方、あのほんわかとした雰囲気だからこそそこから感じ取れる先鋭さ、例えば子供だからこそ見られる残濃さ的なものって、さくらももこ氏のそれに近いよね。それもまた魅力ではあるのだろうなあ。
いらすとやさんが流行った理由、あと大きいのは「打ち合わせがいらない」 もうそこにあるイラストを組み合わせて使って下さいって提示してあるからクライアントも指示をださなくていいし、書き手も修正しなくていい。すっげー楽。(それが可能な膨大なサンプルがあるってのがすごいんですが)
— ざらぶ (@zarabu01) 2018年10月27日
いらすとやさんがなぜ普及したのかは、「煩雑な著作権を考えなくてよい」「誰も傷つけない画風」の2点に尽きると思う。特に公的な機関の場合、二つ目は重要。
— 猪谷千香@「町の未来をこの手でつくる」 (@sisiodoc) 2018年10月27日
あとは事務的な観点で、これは確かに言える。辞書的なスタイルにまで構築されていて、いわばインフラとしての役割すら果たしている。ぶっちゃけると「使いやすい」。これって結構大きいんだよね。ビジネスモデルとしては、ある意味最強だなあ、と。
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