世の中の決まりは概して社会全体の便益を図るために個人に負担を求めるもの。その決まりを個人が破れば、その個人が大きな利益を得るのは当たり前の話なのです。けれどそれは、その分だけ社会全体が損失を被っていることになるわけで。それが許されれば、正直者がどんどんバカを見る社会になるのです。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年10月26日
むしろこれは目的と手段が逆的なお話で、個人の利益を削って社会全体の便益を図るための仕組みが世の中の決まりなのだから、それを破ればその分だけ利益が自分の手に残るのは当然のお話。けれどそのような所業をすれば、その分社会全体の便益が削られるのだから、損失を被ることになる。でもその損失は社会全体に、見える部分だけでなく見えない部分でも生じるので、一人頭で考えると、利益を受ける当人にとってはプラスになってしまう。
でもそれが許されると、我も我もと自分の利益を最優先に選択することになり、結果として正直者がバカを見ることになる。そうなれば社会全体の便益が無視され、提供されなくなる。ヒャッハーな世界になるわけだ。
これは税金が良い例。脱税をすればその分自分の可処分所得は増えるから、利益になる。けどその分税収が減るから、社会全体としては損をしてしまう。けど、自分一人が脱税をしたところ、社会全体が被る損失など比率的に大したものでは無いし、誰かたの人とか、仕組みそのものが補填してくれるさと考えてしまう。
けれど、確実に損失は発生しているし、皆が皆同じようなことを繰り返し、しかもそれに対する罰則が無ければ正直に納税しているだけバカを見ることになる。けれどそうなると、社会全体の便益を図るリソースが無くなるので、皆が損をすることになるのだな。あるいは社会全体の便益を受けなくても暮らしていける人だけがまともに生活できる、世紀末伝説のような世の中になる。
そういう状態にならないための人間の知恵として作られたのが、世の中の決まり事ではあるのだけどね。
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