フリーランスのイラストレーターって僕は料理人と似ているなぁと思っていて、お客さんの要望を聞いて料理を提供するお仕事と基本は同じじゃないかなと思っています。世間に名を轟かせるカリスマシェフもいれば街の定食屋さんもいて、それぞれ必要とされて存在していると思うんです。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
カリスマシェフになれるのは1万人に1人、だから安易に料理人を目指さないほうがいい!と調理師学校の学生に言う人はちょっと聞いたことがないのですが、クリエイティブ界隈だとわりと耳にする忠告だったりします。群雄割拠の萌え絵業界に置いてはなるほど正しい意見かもしれませんが、実は裾野は広い。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
どの駅前にもひとつふたつある定食屋さんが地元民に愛されて長年経営できているように、有名ではないけれど、喜んでくれる誰かがいて、それを供給しつづけることで食べていけるというクリエイティブ界隈もあると思うんです。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
僕は自分をそんな定食屋さんのような存在だと思っていて、餃子定食も出せばミートスパゲティも作るように、ほのぼのイラストも描けばリアルイラストも描きます。もし誰かに高級フレンチのフルコースが作れないような料理人はプロじゃない!的なことを言われたとしても僕とは関係ない話だなという感じ。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
法廷画というちょっと変わったメニューを出しているのでたまにメディアに注目されたりしますが、これも風変わりな料理を出す定食屋がたまにテレビに出ているのに似ているなと思います。「トンカツにメープルシロップ?!果たして合うのでしょうか、突撃取材してみました!」的な。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
例えばレゴを楽しんでいる人は仕立て屋みたいなもので、セットやパーツをまとめて買い集めるのは、仕立て屋の生地を集めているようなものだと考えている。そういう行動性向上の近しい存在の紐づけができると、理解がたやすくなるってことがあるけど、この「フリーのイラストレーターは料理人的なモノ」もそのスペシャルな分かりやすい事例。あるいはイラストレーターに限らないのかもしれないし。
同じジャンルの存在でも求められているもの・領域、自分が出せるもの、手が届く範囲ってのはそれぞれ違い、むしろ自分の特性にマッチしたビジネスにたどり着けるか否かがポイントの気がする。これって極論として運の部分が強い。マッチングって結構大変なのよ。そして今回の場合に限った話では無いけど、需給がマッチしてもそれで作り手側が十分なご飯を食べられなければ続けてはいけないのだよね。そして今件の場合は多分に「オンリーワンを目指すといいのかも」という指針の香りもする。
イラストを料理に例えるのは結構有効な気がしていて、例えば納品後に「結局これとこれ使わなかったからその分料金無しでいいですか?」と言われた時(何度かある)、注文した料理を食べなかったからお金払わないというのが通用するレストランがあるでしょうかと例えると分かってもらえたりします。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
修正依頼があったときに修正費がかかりますと言うと渋い顔をされたときなどにも有効で、ハンバーグを依頼されて作っている途中に「やっぱり和風にして」といわれたら無償でも対応できますが、「やっぱステーキにしてくれる?」となると「では追加料金いただきます」となるでしょうと言うと伝わります。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
ろくに包丁も握らないで「あーー料理うまくなりてぇなー」なんて言うだけの人はもちろん論外ですが、それはどの業界でも同じこと。描いてもないのに絵はうまくなりません。けれども人に喜んでもらえるように絵を練習して、必要とされることを自分の喜びとできるような人には道は開けると思います。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
調理師学校を出て、定食屋さんになるのも、コンクールで優勝するような一流シェフを目指すのも、どこかと契約してチェーン店を開くのも自由。いろんな道、いろんな生き方があるんですよと伝えてあげるのがクリエイティブ業界にとってもいいことなんじゃないかなぁとそんなことをふと思いましたおわり。
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) 2018年11月2日
特に今件が優れた例え方となっているのは、それが交渉の点において相手に理解されやすい話となること。このような例えをされたら、確かに理解はたやすくなる。自分がよく知るケースとマッチしているからね。
人の喜びを得られるように自分の能力や経験を活かす方法を見つける。これは確かに自分の道筋を見つける手法に他ならない。けど相手が喜ぶような自分の能力の発揮の仕方をしても、それでも首すら回らないということがある。根気よく続けていればということで、目の前に油田があるのにその直前まで掘っていて諦めてしまった例をよく聞くけど、それは神の視点から見たからいえるわけであって、いくら掘っても結局ありませんでしたってなってしまう可能性も否定できない。
自分はこういうことが出来ます。十分な対価を提供できる、需要はありますか的なアピールを広範囲に、その需要を持つ人にまで届く、確率論的にサイコロを振る回数を増やせる手立てが必要なんだろうな。そういう意味では、自分の作品を広範囲に広げられるソーシャルメディアは、作り手にとっては良い環境に違いない。
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