ウェブ上の情報公開をはじめ、昨今の情報コンテンツの仕組みは多分に、フェイクだろうと欺瞞だろうと扇動だろうと炎上目的だろうとおかしなものだろうと、内容への反応がネガでもポジでも絶対値での評価となってしまうのに最大の問題があります。煽情・炎上ジャーナリストが評価されるのもその問題点。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年11月3日
先日の某人質事案で、同様の属性にある人がドヤ顔で斜め上的な論評を炎上商法まっしぐら的に展開し、それが翌日のランキングでトップの評価を受けていたのを見て、ため息交じりに思った事をつらつらと。
ウェブ上の情報公開が好例だけど、昨今の情報コンテンツの仕組みは多分に、フェイクだろうと欺瞞だろうと扇動だろうと炎上目的だろうとデタラメなものであろうと、そして内容への反応がネガティブでもポジティブでも非難殺到でも、絶対値による評価となってしまうのに最大の問題がある。
例えば内容的に対外総合評価がマイナス500的なものでも、絶対値としては500に違いないので、プラス500的なものと同様の評価を受けてしまう。テストで100点をとっても、カンニングでどんどん減点されてマイナス100点扱いされたのと同じ評価にされるとか、何このバグった仕組み、的な。
この仕組みがあるからこそ、例の悪質系まとめサイトがはびこるというのもあるし、正直者がバカを見る現状である。炎上や扇動の方が簡単に量産できるし、だからこそ煽情・炎上ジャーナリストが評価されてしまう。
正直者がバカを見る環境ってのは、本当にマズい状態ではある。正直なことを続けても益はほとんど無く、その横でデタラメやらインチキをしている側がおしりぺんぺんしながら荒稼ぎをしていく。場全体のイメージも低落するし、正直なことをするよりもデタラメをした方が暮らしやすくなってしまう。
確かに罰せられることが無ければ、例えばライバル店に火をつけて回った方が、楽に稼げるのは言うまでもない。あるいはウソ偽りを繰り返して集客するとかね。人間としてはオシマイの選択肢だけど、それで褒めたたえられ懐も温まり、立場を追われることもないのだから、自分のやっていること、正直ってなんだろうとかまともにやることの意義があるのだろうかと、ため息交じりに思うのだな、ああいう記事とかその評価を見るに付け。
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