フォトショップの5.5とか(バージョンアップ用の4.0J含む)、アクロバットとか。結局手をほとんど付けずじまい。市場価値そのものが無いのではという感。 pic.twitter.com/Cmhh4dONy4
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年11月5日
このフォトショップなどは以前自分も画像加工をもっと頑張らなきゃと奮起する意味で購入した、のはいいのだけど、結局難しすぎて早々に断念した結果の名残。今では昔から使っているペイントショップを継続利用中。フォトショップはアップグレードもしなかったので、今ではこのバージョンの存在意義があるのかどうかも怪しいところ。LEも探せばあちこちに散らばっているような。
単なるお掃除ならともかく、長年書庫やら棚を埋めていた資料をざっくりと片付けるということになると、自分の心の支えだったものとか、記憶の断片が自分の手元から離れていくことを意味するので、自分自身の存在の希薄化すら覚えたりする。いわば自分にとっては外付けハードディスクみたいなものだったとの解釈もできるから。
他方、片付いてスペースができた場所を見るとすっきり感を覚える。けれど同時にそのすっきり感が心のすき間風を感じさせたり、さらにこの行程があとどれだけ続くのかという先の長さを概算しての絶望感もあったりする。色々と気持ちが揺れ動いて不安定感な状態。
昔の景品のお皿とかも結構出てくる。一人暮らしだからそんなに食器は要らないのにね。買取価格を調べてもゼロ円が連なるので存在意義はない。昔なら自治体とか教育機関のバザーに寄付するって手もあったけど、今ではその類のイベントがあまり無いので、雑貨の類は捨てるしかないのだよなあ......と思うことしきり。
恐らくは来年前半ぐらいまではこの作業が続くのではないかな、という気もする。どんどんサルベージして片付け、残った有益な資料とともに、新しい環境構築をしなければ。
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