昭和時代に日本に本格的フランス料理を伝えたスイス人料理人が
— テト式@なろう連載中 (@tetosiki) 2018年11月13日
部下の料理人が客の残した残飯やタレの残骸を技を盗むために舐めてたのを見て
「なに!?舐めて技を盗む!?」
と怒鳴り
「目の前で作ってやるから良く見とけ!」
と文化の違いを見せつけたとかなんとか... https://t.co/ehwuZmEAe5
昔の職人が特に技術を教えることなく、自分の仕事を見て盗め的な「教え」方をしているのを見るたびに、これでどうやって細かい部分とかが伝承されるのだろうとか海外ではどうなんだろうなという思いを抱いたことがある。要は子供が保護者の真似をして色々と社会のありようや行儀作法、生活の仕方を覚えていくのと同じようなものだという考えなのだろう......けどよく考えてみたら、保護者も子供には色々と教え諭すし、幼稚園とか保育園とか学校でも社会に溶け込むための常識は教えるよね。ってことは「盗んで覚えろ」ってのはやっぱり怠慢でしかないのかしら。
アメリカはマニュアル化と規格化で素人にも扱える兵器を素人が大量生産させて勝ったんやぞ
— 人間性限界mohikan (@mohikan_893) 2018年11月13日
これに勝るものなどない
目で盗めなんて教える能力が無いと言ってるのを言い訳してるだけなのだ
— 人間性限界mohikan (@mohikan_893) 2018年11月13日
自分の仕事できないから効率は落ちるし、ちゃんと教えて貰ってないから半端な我流になって結局身につかない
— 人間性限界mohikan (@mohikan_893) 2018年11月13日
マニュアル化、規格化するのは正直面倒くさい。自分の頭の中にまとまっているものを論理立てて文章にしなきゃならないから。事業や部局の仕事の引継ぎとかをする時に、工程作業書を作ったことがある人なら容易に分かるはず。でもそれをやらないと、他人には伝わらない。超能力者じゃないからね。結局のところ、自分の能力を他人に伝達するのが苦手、それをするくらいなら自分の仕事をどんどん進めて、「勝手に学べ」と相手に責を押し付けた方が楽......ということなのだろう。
ここまで書いて思ったのだけど、この構図って、世紀末ぐらいから本格化した、年功序列制の希薄化とか、個人実力主義の台頭で、企業内でも後陣に教育をしても評価されないんだし自分自身の成果をどんどん上げて教育なんて後回し的な傾向が強まって、結果として企業の力そのものが落ちていく、人が育っていかない、企業への定着率がアレなことになるってのと同じじゃないかな、と。
祖父から剣道を教わる際、しっかりと基礎と技術は教えてもらったけど祖父の技は勝手に見て盗んだ
— 抹茶男爵 (@5EnNTKSipfmnsmp) 2018年11月13日
これとは違って職人の教えず盗めは教えるのが面倒な自分への甘え
つまるところシステマチックに教えちゃったほうが良いんですよね。
— KGN (@KGN_works) 2018年11月13日
ただしマニュアル化しても、教育を受ける側に「そのマニュアルを読む能力」と「マニュアルに従う能力」がないと無意味だけど(このへん初等教育レベルからの国語力の問題がまた浮上するわけだ)
「文章をまともに読めない奴にできる仕事は、どんどん減ってくる」
— KGN (@KGN_works) 2018年11月13日
が現実だろうなあ......
あとは「己の仕事を文章化できない人の仕事は、消えていく」もあるけど。
「どうやったら国語力を身につけられますか」と聞かれたけど、大人になってしまったうえに、最低限の能力を持たないのであれば、リカバリ不能じゃないのかな。
— KGN (@KGN_works) 2018年11月13日
少なくとも、どれだけ努力「したつもり」になったところで、情報を操るための概念空間を持っていない個体。
— KGN (@KGN_works) 2018年11月13日
どれほど頑張ってますといったところで、「がんばって」流し込んだ情報は何もない空間にぶちまけられた水と同じ。そのままよそに捨てられてしまって何も残ってないんだよな。
耳にした、もしくは目にした文章の構成要素を分解し、それぞれを関連付けし意味をいったんバッファして、再構築する。
— KGN (@KGN_works) 2018年11月13日
そのための作業空間もないし、分解と関連付けの能力もない。
否定形で話したことを常に取り違える個体もこの一例だろうけど。
で、マニュアル化の方がベースを創れるし、合理的・能率的ではあるのだけど、まずはそのマニュアルを作る技術は欠かせないし、マニュアルがあってもそれを読み解くだけの能力が無ければ何の意味も無い。読解力が無ければ書かれている内容は伝達しない。言葉は通じるのに話が通じない事態となる。この辺、国語力が欠かせないという話ではある...ってあれか、昨今のマスコミで変な報じられ方、事実と異なる話が多いってのも、中の人がこんな感じでアレな状態になってるのも一因なのかな。「日本語読め、いや読めているのだろうけど、ちゃんと理解しろ」ってケース、結構遭遇するからねえ、報道文章に限らず。
「目で技を盗め」ってやつ、0から100になった職人の技をマニュアル無しに習得して80になり、その次の世代は50になり、ってやってるから滅びたんでしょ? 原理を理解するのは大事だけど世代が進むごとに前代の技なんかマニュアル化して80からスタートで150目指さないと価値なんてないでしょ
— 11/17(土)EOF名古屋ライブ (@Asyley_) 2018年11月14日
逆に考えると、職人にコミュ力求められなかった時代には、視覚優位で見て覚えるのが得意な発達障害でも十分やっていけたけど、なんにでもコミュ力求められる現代では、職にあぶれるようになったんだろうね。
— 源氏星 (@genjibosi) 2018年11月14日
この辺の数字化した例えは非常に分かりやすい。マニュアル化すれば多くの人が相応の領域にまで届く。でもそれが無いと、よほどの素質や運が無い限り、その領域にもたどり着けないし、元々の内容も変質してしまっている可能性がある。これって結局義務教育の考え方と同じなんだよね。
そしてコミュ力云々ってのは、最近話題に上っている、AIとかコンピュータの進歩がさらに進んで技術が発展すると、単純作業の類の仕事が奪われてしまう、人の仕事が二極化する...という話と近しい問題があるかなあ、とも思ったりする。
視覚優位で見て覚える能力しかない人しかいなかったので見て覚えて体で身に付ける方法しか伝達できなかったのではないでしょうか?言語で優位に説明して伝達できる能力の人がずっと少なかったのでマニュアル化して伝える方法は発達しなかった可能性はないでしょうか?