まとまった場での展示会の意味合いの変化

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E3にソニーが参加しないという話が出て、ちょいと色々と物議をかもしている。業績が落ちたとか喧嘩をしたとかじゃなく、時代の流れが変わってきたかな、それを象徴する出来事の一つとして位置づけられそうだ、という感じ。

あまりにもざっくばらんすぎるのだけど、情報の発信ルートが新聞とかテレビといったメディアのみで制限されていて、受信できる選択肢もそれらからしかできないという感じで限られていた昔は、一か所に集約してメディアにまとめて取得してもらって、一度に流してもらった方が、何かと便利だった。時間制の報道規制云々ってのも、結局まとめて取材してもらって、一気に流してもらうってことがあったから。

けれど情報の発信の手段が多様化し、消費者サイドが受信するルートも多元化したため、わざわざ新聞などのメディアに取材されやすいような場を設けていちどきに取材してもらうって必要性は薄れている。下手をすると有名なユーチューバーに取材をしてもらった方が、展示会に参加するよりも有益だってそろばん勘定が成り立つかもしれない。

情報のやり取りの多様化というか環境の変化が生じた結果としての、今回のソニーの決断ではないかな。既存の方法を継続する方が楽だけど、効用が減退している、新しい選択肢の方がより有益だと判断できるのなら、そちらにシフトするのは何も悪い話じゃない。


さらには情報発信の意味合いをも含めて考えた結果、とする解釈もあり、それは正しい分析かと。情報の発信そのものが目的じゃなく、それで何を得たいのかまでを考えると、発信は手段でしかない。


メディアスキップというよりは、既存メディアの相対的な影響力の低下に伴う、自前メディアも含めた新しい選択肢へのシフトと解釈すればいいのかな、という気はする。お得意様向けビジネスへの傾注とでも判断できるのかな。


何もこういう話はゲーム業界に限ったものでは無いようだ。そういやそんな観点で見直すと、色々とそういえばそんな気がってのはあったような。

YTuber司会でお披露目会なら、環境があれば自分も参加できるってのはスゴイかも。自宅で発表会参加とかいいなあ。色々な意味で。......ってああ、これって先日言及した、VRで自宅からライブ参加とコンセプト的には同じなんだな。

情報の質の多元的変化ってのは、色々な意味で既存概念を乗り越える、打ち崩していくのだろうなあ、という気がする。今件もまた、それを象徴する出来事の一つになるのだろう。

無論、E3をはじめとした物理的な展示会、集合会が無意味なものになるわけじゃない。例えば村祭りが当初の思惑とは異なり、定期的なお祭り騒ぎの機会となっているように、お祭り的なものの機会創生という割り切りをして、それを楽しむようにすればいいのではないかなという気がする。

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このページは、不破雷蔵が2018年11月17日 08:01に書いた記事です。

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