成果物がほんのわずかなものであっても、そこにたどり着くまでには多大なリソースが投入されていることもある

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今件は翻訳でのお話ではあるのだけど、それに限らず創作系のものは得てして、出来上がった成果物の見た目、分量と、それが生成されるまでに必要とされるリソースとの間で、大きな格差が生じることがある。だからぱっと見だけでは、評価も大したものでは無くなるし、誰にでもすぐに出来ると思い込んでしまう。

ひとつの結果を出すまで、紆余曲折が繰り返され、試行錯誤が行われ、数々の失敗の上で、ようやく導き出されたものかもしれない。さらにそれを成すために必要な経験の数々は年単位のものであることもある。以前記事にした、漫画家が数分で仕上げるカットには、そこに至るまでに数十年の経験があってからだこそという話とか、鍵屋さんが実作業は数分に過ぎないけど、それができるようになるまでの修行と経験の積み重ねがあってからこそのものであるっていうのと同じかな。


見た目だけ、表面ヅラでの結果を基に、やってしまおうと考えると、実のところはほとんどできなかったり、出来たように見えてもそれを続けることは不可能だったりする。その裏にある、支えているものを知らないから。

グラフの生成とかその解説とかも同じだったりするんだよね。「数字をエクセルにぶち込むだけじゃん」と何度ののしられたことか。

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このページは、不破雷蔵が2018年11月19日 07:02に書いた記事です。

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