日経新聞。パソコンなしでは統計処理もできない怠惰な知性の持ち主ですみません pic.twitter.com/cFKqIUDuWx
— Haruhiko Okumura (@h_okumura) 2018年11月19日
「主体的学び」のあり方:日本経済新聞 https://t.co/wR6J6bTpJw
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年11月19日
続く文章のところで「半世紀近く前、私が中学生だった頃は」と出ている時点で、「昔はよかった、今は自分が付いていけないからダメだ」という、回顧論をよじらせて現状と未来を否定する、ロートリズムに走っているのが分かる。これを日経新聞という経済を中心に伝える新聞が書いているのだから頭が痛くなる。それほどまでに技術の進みを否定するのなら、横穴洞窟に住んで枝をぐりぐり擦りまわして火をつけて生活してはどうなのか。紙など使わず石板で新聞を作ってみては。
非難ではなく、将来のためにも、「機械を使っていると冷たい」「科学技術は人間性に反している」という固定観念を破壊しておきたい。技術がベストなのではなく、しょせんすべては道具にすぎず、すべては「人」に帰結する。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年11月19日
この辺の感覚、たぶん「機械化や技術をもっと習得するように世の中が向かってる。俺は苦手......」「インターネットやプログラミングなど、IT技術に明るい奴のほうが収入が高くて悔しい。なんかおかしい」という感覚があって、「正しい本来の人間らしい社会に戻って欲しい(自分有利に)」と思っている。 https://t.co/XH8sB6FlVd
— ǝunsʇo ıɯnɟɐsɐɯ (@otsune) 2018年11月19日
自分の知っていてた時代を懐かしむのは構わない。ネタにするのもいいだろう。古きを尋ねて新しきを知るという言葉もある。けれど、そこからさらにこじれて、今はダメだと否定してしまうのは、前に歩む知的生命体の本質からは外れたものとして認識せざるを得ない。恐らくは指摘されている通り、自分のアドバンテージが崩れているので、元に戻したいという本心が軸にあるのだろう。そういう人達が正論ぶって文化を自称する新聞でアッピールをするのは、背筋に寒気すら覚える。あなた方のような人たちが足を引っ張っているから、前に進めなくなるのだよ、と。
機械や技術が冷たい、人の温かみを感じない、人間性が無い。それは詭弁でしかない。なぜなら機械や技術を創っているのもまた人間だから。人が創ったものに人間性が無いというのなら、創作物すべてにそれが当てはまり、人間そのものしか人間性が無いということになる。手料理とレトルト食品や中食との間にどれほどの違いがあるのか、というのと同じ問題なんだよね。
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