人が死ぬ前に後悔すること

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人の生き死には十人十色であることから、これがすべて当てはまるとは言わないのだけど、そういう場面に多々遭遇する人としては、統計をしっかりとっていないとしても、ある程度体験談の蓄積として傾向だったものが見えてきても不思議ではない。それが有り難いものか否かは別として。

定年退職を迎えた高齢者がしきりに旅行に行きたがるのも、健康ブームにビッグウェーブモードに乗って色々と騙されるのも、この辺りが要因なのかなあ、という気がする。

ロボット生命体による社会のように、寿命があらかじめしっかりと定められていて、事故などが起きない限りライフプランががっつりと定められるようなものならば、ある程度計画性は立てられるので、この辺りの話も薄れてくるのだろうけど。

責任感とか他人に責を押し付けられてとか色々な縛りでとか心配でとかそもそもご飯を食べられなくなるとか現状の維持すらできなくなるからとか。色々な理由で、自分の希望を低い優先順位の箱に追いやり、希望順位が低い、さらにはあまり手掛けたくないことをせざるを得ない、そのようなことに時間を費やさねばならないってことはよくある話。

お金があれば大体これらの問題は解決できるのだけどね。お金って結局リソースの集約した概念だから、後悔の羅列内容に大体置換できる。この辺はどうにかならないのかなあ、自分の持っているあれこれを効率よくお金に変換できるようなものに出会えればいいのだけど、それがなかなかうまくいかないってのは、やはりミスマッチの問題なのだろうなあと思ったりもする。

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このページは、不破雷蔵が2018年11月20日 07:15に書いた記事です。

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