断捨離マニュアルの「ここ○年以内に利用してなければ捨てる(本も同様)」に怒り狂う読書家を定期的に見るんですが、世の中には書籍にその程度の価値しか見いださない人が少なくないという事実を肝に銘じたほうがいい。
— 所長おち (@02320_ochi) 2018年11月22日
あと家に自分の知らない断捨離本があったら気をつけろ。資産は家から切り離せ!
雑誌の片付け特集をパラパラ見ていたら、本棚について、"「読む」に分類するのは1年以内に読んだ本だけ。「1年以上読まなかった本を、再び読むことが本当にありますか」"と書かれていて、お前は何を言っているんだという気分になった。
— tabineko (@tabinekop) 2018年11月21日
当方も現在色々な理由で大規模な資料の整理と廃棄、買取業者への引き取り願いを逐次実施中なので、色々と「分かる」的な思いを抱きながら。断捨離って基本的に、すぐに使わないものは要らないものだから捨てるべしってことなんだけど、これって生活必需品とかへの適用ルールであって、情報とか資料に当てはめちゃいけないお話だったりする。その類のは、存在していること自体に意義があるのだから。
以前言及したけど、アクセス数が少なかったからといって公的機関のデータベースを閉鎖するってのはよい事なのか否か。図書館で貸出件数が少なかった本を片っ端から廃棄処分するとか、つまりはそういうこと。戦艦外交とかいう話だとちょいと軸が違うかもしれないけど、使われずとも存在すること次第ですでに意味があるんだよね。
当方は基本的に積みレゴとか積みプラの類も含め、資料などは手を付けることが無くても、手段の多様化、選択肢の確保という観点で、立派に役立っていると思うのだな。仕立て屋なら多様な生地を手元にストックしておくようなもので、何かあった時にその生地を目の前にして色々と脳内で構想をしたり、あるいはオーダーがあった時に手元の生地から選択肢を紡いでいくとか。自分の可能性の引き出しのようなもの。まさに、存在するだけで意味のあるもの。
残りの人生では到底消化しきれない数の、積ん読や積みゲーや積みDVD/BDがすでに目の前にあるわけですが、今後もどんどん増えます。いつか読めるから、観られる日が来るから買うんじゃないの。「これを体験せずに死ぬのか? 頑張れ、投げるな、生きろ俺」という意味で買っているのです。
— 葛葉 (@Cuznoha) 2018年11月22日
資料の類を自分の励ましに用いるというのも、一因ではある。こんだけ手を付けていないものがあるから、手を付けたいなあというモチベにつながるというものだ。
当方の今のお片付けはそれから発したもの。恐らく今後も手を付けられないだろうし、だったら第三者の手に渡って少しでも有効に使われたらという気持ちが大きい。だからこそ、廃棄は極力避けたいのだな。ゴミとなったらもう永久に消えてしまうからね。ビデオテープにしても、できるだけデータ化しているってのは、無くなったら情報そのものが消えてしまうからなのだな。
だからこそ例の、国営漫画喫茶と揶揄された、国立メディア芸術総合センターは設立されて欲しかったものだけど......。
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