昨晩VRチャットな方々とお話して改めて思ったけど、表現は先ずは
— 稲見昌彦Masahiko Inami (@drinami) 2018年11月19日
1. カッとなって作る。この時模倣を恐れない
2. 深呼吸して、過去の作品などを調べる。ここは周囲に助けを求めても良い
3. なぜその作品を作りたかったのかを自問しつつ作品を位置付ける
4. 発表後、1に戻る
で良いと思う
#iiiex
他者の評価や過去の作品との被りを気にし過ぎて何もできなくなる事が最悪。「物知りハカセ」は表現者ではない。
— 稲見昌彦Masahiko Inami (@drinami) 2018年11月19日
一方で、周囲は勇気を振り絞って踏み出した制作者の創作意欲を削がないよう配慮する。
自分と同じ失敗をさせないようにとのアドバイスも、本人が気づきを得る機会を奪うこともある
歩き始めた子どもに、「キミの二足歩行には新規性がないどころか、歩容に重大な欠陥を抱えている」と言うコミュニティからはアスリートもダンサーも生まれない。「先ずは色々歩きまわってみよう、だって世界は楽しいから」と伝える大人でありたい
— 稲見昌彦Masahiko Inami (@drinami) 2018年11月19日
先行者...というと例の中華ロボットになってしまうのだけど、自分が手掛けている界隈の先陣を行く人とか技術に長けた人の実績や成果を見て、自分の歩みの先を知ってしまって新規開拓のモチベーションを削られたり、逆に現状の自分との差の大きさに凹んでしまって意欲が損なわれるってことはよくある。漫画を描いてみたけどプロの人との差に意気消沈とか、よくある話。
誰だってはじめは初心者だとか、ある人がやっていることを同じだけ別の人ができるはずは無いってのも事実ではあるけど、それを知っていてもなお目の前にある成果体現物からへこたれてしまうこともあるし、他人がそれを揶揄することだってある。
特にネタが被ってしまうような状況だと、やっていても意味が無いじゃんと思ったり、車輪の再発明と同じやんと考えてしまったり。さらに馬鹿にする他人も出てきたりする。
手掛けていること自体が楽しいのだし、楽しいければそれで成功じゃん、という割り切り......というか発想が大切なんだろうな。「他人のと同じだから意味が無い」とか言われたら、例えばプラモとかレゴとか、作っている人の大部分は無意味な行動になる。
で、問題なのは、昨今の可視化問題。インターネットによる情報の本質の大きな変化に伴い、自分の業界の人達の成果がリアルタイムで、時間と空間を超えて得られるようになった。しかも自分への評価も多元的な方向からやってくる。先日の本のライブラリ化による過去の先陣者との戦い云々ってのと同じで、現在に生きて活躍している人だけでなく、昔の優れた人たちとの比較もされてしまう。
それを有益な情報として考える発想力があればいいけど、外野の声はうるさ方が多分なので、めげてしまう可能性の方が高い。この辺はソーシャルメディア世界の処世術的な感じで、技術方面の界隈でも何らかのテキスト化が必要な気がする。
そして、表現者は、他者の表現への貢献をリスペクトする必要がある。ニコ動で、引用した作品を明記するアカデミックな文化が自然発生したことは示唆的。実は研究も表現活動の一つ。適切なマナーを身につけたければ、それこそ大学に山積みされている研究倫理の本やweb記事を眺めてみるのも一案
— 稲見昌彦Masahiko Inami (@drinami) 2018年11月19日
同時に、表現する人は何を参考にしたかを明記するってのも大切。参考文献ってやつだけどね。先陣者への敬意でもあるし、自前の作りものの裏付けにもなるからね。というか、先陣のあれこれに気兼ねしてしまうからその辺が軽んじられるってのは、見方を変えると先陣と同じようなものだと言われるのがイヤだという部分もあるんだろうなあ、と。
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